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【動画】安倍首相 戦後70年談話…私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。【動画】そこまで言って委員会NP…太平洋戦争とは…・虎ノ門ニュース…有本香・青山繁晴×百田尚樹(前)…他


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戦艦大和 1945



今回非常に長いですが平にご容赦。


 昨日、8月14日…安倍首相の戦後70年談話が出されました。
細かい部分では多少異論はあるけれどこの一文

『私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。』

これがあったのはよかったと思う。

【KSM】安倍首相 戦後70年談話 フルバージョン 記者会見含む「先の世代に謝罪を背負わせてはならない」
【KSM】安倍首相 戦後70年談話 フルバージョン 記者会見含む「先の世代に謝罪を背負わせてはならない」
https://youtu.be/RJPoa7ClTUc?t=14s




後は、これに則り、中韓の謂れなき反日にしっかりと反論・反証をし
日本と日本国民を守る方策をしっかりと日本政府に取って欲しいと思う。



【戦後70年談話】首相談話全文
2015.8.14 18:03更新 産経ニュース(1/8ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n1.html
※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい

 戦後70年の安倍首相談話の全文は以下のとおり。




 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。


(2/8ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n2.html

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。


(3/8ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n3.html

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。


(4/8ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n4.html

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々台湾韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。


(5/8ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n5.html

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えていますあの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。


(6/8ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n6.html

 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。


(7/8ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n7.html

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

(8/8ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140016-n8.html

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 平成二十七年八月十四日

 内閣総理大臣 安倍晋三






<以下参照>
【戦後70年談話】
首相会見詳報(1)「政治は歴史に謙虚でなければならない」「先の大戦への深い悔悟の念を誓った」
2015.8.14 21:20更新 産経ニュース(1/3ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140034-n1.html
※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい


 安倍晋三首相は14日、官邸で記者会見し、戦後70年の首相談話を発表した。首相は「政治は歴史に謙虚でなければならない。政治的、外交的な意図で歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない」と述べた。会見の詳報は以下の通り。

 「8月は私たち日本人にしばし、立ち止まることを求める。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求める。政治は歴史から未来への知恵を学ばなければならない。戦後70年という大きな節目に当たって、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか。深く思索し、構想すべきだと、私はそう考えた」

 「同時に政治は歴史に謙虚でなければならない。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない。このことも、私の強い信念だ。ですから、談話の作成に当たっては、『21世紀構想懇談会』を開いて、有識者のみなさまに率直かつ徹底的なご議論をいただいた。それぞれの視座や考え方は当然ながら異なる。しかし、そうした有識者のみなさんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた。私は、この提言を『歴史の声』として受け止めたいと思う。そして、この提言の上に立って、歴史から教訓をくみとり、今後の目指すべき道を展望したいと思う」


(2/3ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140034-n2.html

(談話の読み上げは略)

 「(読み上げ後)以上が私たちが歴史から学ぶべき、未来への知恵であろうと考えている。冒頭、私は21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受け止めたいと述べた。同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければならない。謙虚な姿勢とは果たして聞き漏らした声が他にもあるのではないかと常に歴史を見つめ続ける態度であると考える。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来への知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えている。私からは以上だ」

 --首相は戦後70年談話について世界に発信するものだと位置づけてきた。国内外に最も伝えたいメッセージは何か。過去の村山富市首相談話や小泉純一郎首相談話と違う形で「おわびの気持ち」や「侵略」の言葉を入れた意図は何か

 「戦後70年という大きな節目に当たり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を大きく振り返りながら、その教訓を胸に刻み、戦後80年、90年、100年に向けて、どのような日本をつくり上げていくのか。それを世界に向けて発信したいと考えた。作成に当たっては、国民のみなさまとともに日本が目指すべき国家像を描くという意味で、できるだけ多くの国民と共有できるような談話をつくっていく。そう心がけた。より幅広い国民とメッセージと共有するという観点からは、一部だけを切り取って強調するよりも談話全体としてのメッセージをごらんいただきたい、受け取っていただきたいと思う」

 「先の大戦における行いに対する『おわびの気持ち』は、戦後の内閣が一貫して持ち続けてきたものであると考えている。そうした気持ちが戦後50年においては村山談話という形として表明され、さらに戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのおわびの気持ちは引き継がれてきたと考えている。こうした歴代内閣が表明した気持ちを私の内閣でも揺るぎないものとして引き継いでいく。そして、今後の内閣もそうでしょう。そのことを今回の談話の中で明確にしたところだ」


(3/3ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140034-n3.html

 「次に『侵略』という言葉についてだが、今回の談話は21世紀懇談会において有識者の方々が共有した認識、その報告書の上に立って作成したものだ。その報告書の中にもある通り、中には侵略と評価される行為もあったと思う。だからこそ談話においては、『事変、侵略、戦争』という言葉を挙げながら、『いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としては、もう二度用いてはならないことを先の大戦への深い悔悟の念とともに誓った』と表現した。先の大戦における日本の行いが『侵略』という言葉の定義に当てはまればダメだが、当てはまらなければ許されるというものではない。かつて日本は世界の大勢を見失い、外交的、経済的に行き詰まりを力の行使によって打開し、あるいはその勢力を拡大しようとした」

 「その事実を率直に反省し、これからも法の支配を尊重し、不戦の誓いを堅持していくということが、今回の最も重要なメッセージだと考えている。
その上で、具体的にどのような行為が『侵略』に当たるか否かについては、歴史家の議論に委ねるべきであると考えている。重要な点は、いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならないということだ。これが私たちが過去から学び、教訓とし、反省すべきことだと考えている」




【戦後70年談話】
首相会見詳報(2)「世界の平和と繁栄に力を尽くす責任がある」「中国にはありのまま受け止めていただきたい」
2015.8.14 21:36更新 産経ニュース(1/2ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140036-n1.html
※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい


 安倍晋三首相は14日、官邸で記者会見し、戦後70年の首相談話を発表した。首相は「政治は歴史に謙虚でなければならない。政治的、外交的な意図で歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない」と述べた。会見の詳報は以下の通り。

 --首相は平成21年、月刊誌の対談で「村山談話以降、政権が代わるたびにその継承を迫られるようになる。まさに踏み絵です」「村山さんの個人的な歴史観に日本がいつまでも縛られることはない」と述べた。これらの発言と今回の談話の意図との整合性について、分かりやすく聞かせてほしい

 「村山談話についてはこれまでも全体として引き継ぐと繰り返し申し上げてきた通りだ。同時に、私は政治は歴史に対し謙虚であるべきだとも申し上げてきた。その信念のもと、今回の談話の作成にあたっては21世紀構想懇談会を開き、学者、歴史家をはじめ有識者のみなさんに集まっていただき、20世紀の日本をどうとらえるか、大きく世界、時代を超えて俯瞰(ふかん)しながら議論していただいた。考え方の異なるみなさんが最終的に一定の認識を共有できた。私はこの21世紀構想懇談会の報告書を歴史の声として受け止めたいと思う。そして、その報告書の上に立って、先の大戦への道のり、20世紀という時代を振り返りながら、その教訓を胸に刻み、日本がどのような国を作り上げていくべきか、戦後70年の大きな節目に当たって談話としてまとめたものだ。その上で、今回聞き漏らした声が他にもあるのではないか、と常に謙虚に歴史の声に耳を傾け、未来への知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと思う」

 --今回の談話では「未来の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」との一方で、「世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければならない」としている。これは西ドイツのワイツゼッカー大統領の有名な演説で、「歴史から目をそらさない」という一方で「自らが手を下してはいない行為について自らの罪を告白することはできない」と述べたのに通じる気がするが、首相の考えを聞かせてほしい

(2/2ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140036-n2.html

 「戦後から70年が経過した。あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、その先の世代、未来の子供たちが謝罪を続けなければいけないような状況、そうした宿命を背負わせてはならない。これは今を生きる私たちの世代の責任であると考えた。その思いを談話の中にも盛り込んだところだ。それでもなお私たち日本人は世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければならないと考える。何よりも、あの戦争の後、敵だった日本に善意や支援の手を差し伸べ、国際社会に導いてくれた国々の寛容な声に対し、感謝すべきであり、その感謝の気持ちは世代を超えて忘れてはならないことだ。同時に過去を反省すべきだ。歴史の教訓に深く胸に刻み、よりよい未来を切り開いていく。アジアと世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があると思っている。そうした思いについても合わせて今回の談話に盛り込んだところだ」

 --今年中に中国に訪問して、習近平国家主席と3回目の首脳会談を行うのか。中国の経済後退が懸念されているが、その中で談話のインパクトが薄れる可能性はあるか

 「中国のみなさんには戦後70年に当たってのわが国の率直な気持ちをありのまま受け止めていただきたい。中国とは習近平国家主席との2度にわたる首脳会談において、戦略的互恵関係の考え方に基づいて関係を改善することで一致している。日本と中国は地域の平和と繁栄に対して、大きな責任を有している。両国の経済関係は非常に密接であり、さまざまなレベルで対話を重ねながら、安定的な友好関係を発展させ、国際社会の期待に応えていきたい。首脳会談についても機会があれば、そういう機会を生かしていきたいと思う。日本の対話のドアは常にオープンだ




【戦後70年談話】
首相会見詳報(3)完「安保法案は国民の命、平和な暮らしを守り抜くためだ」
2015.8.14 21:43更新 産経ニュース(1/2ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140037-n1.html
※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい

 安倍晋三首相は14日、官邸で記者会見し、戦後70年の首相談話を発表した。首相は「政治は歴史に謙虚でなければならない。政治的、外交的な意図で歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない」と述べた。会見の詳報は以下の通り。

 --談話を踏まえ、安全保障関連法案について聞く。改めて法案に関する識者などの発言を見ると、その中の一つに軍事をめぐる中国の動向を脅威と見るか、見ないかで法案に対する賛否が分かれる傾向が見られる。こうした考えの隔たりは国民も見ていると思うが、いずれにしろ日本の安全保障上、大きな認識の違いをどう見ているのか

 「70年前、私たち日本人は二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないと、という不戦の誓いを立てた。この不戦の誓いは、今後も決して変わることはない。今回の平和安全法制は、戦争を未然に防ぐためのもの。まずもって外交を通じて平和を守る。このことが重要であることは言うまでもないと思う。今後も積極的な平和外交を展開する。その上で、万が一への備えも怠ってはならない。この法案は、国民の命、平和な暮らしを守り抜いていくためのものである。もちろん、特定の国を想定したものではない。今回の法制によって、日本が危険にさらされたときには、日米同盟が完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、紛争を未然に防ぐ力はさらに強くなっていく。高まっていく。日本が攻撃を受ける可能性はより低くなっていく。国民のみなさまの意見、批判にも真摯(しんし)に耳を傾けながら、この大切な、必要な法制について理解が深まるよう、今後も努力を重ねていく」


(2/2ページ)
http://www.sankei.com/politics/news/150814/plt1508140037-n2.html

 --歴史認識の問題などで国民の理解が分かれていると思うが、その中であえて首相が込めた国民へのメッセージは

 「まず今回の談話は、より多くのみなさまにご賛同していただけるものを作成していきたいと考えた。その上において、アジアの国々、多くの国々とともに未来への夢を紡ぎ出していく、そういう地盤にしていきたいと考えた。今回の談話を作成するにあたり、『国策を誤り』といった抽象的な用語で終わらせることなく、どのように針路を誤ったのか。歴史の教訓を具体的にくみ取らなければならないと考えた。そして、21世紀構想懇談会の有識者のみなさんにその具体的な作業をお願いしたわけだ。世界に目を向ければ、残念ながら紛争は絶えない。ウクライナ、東シナ海など、世界のどこであろうとも力による現状変更の行為は、決して許すことはできない。また、テロの問題は、深刻さを増している現実がある。こうした現実にあって、70年前の歴史から学べる教訓を発信していくことは日本一国のみならず、世界に対しても、大きな現代的な意味を持つと考えている





さらに詳しい詳細についてはぼやきくっくりさんが詳しく紹介していますのでそちらを参照のほど…

<参考>

ぼやきくっくり 安倍総理の戦後70年談話はよく練られていると思う
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid1763.html





戦艦 長門

 権力や社会の動向を監視し、警鐘を鳴らす木鐸の役目を果たすことがジャーナリズムの存在意義であるとマスコミ人は主張する。確かに徹頭徹尾、傍観者に徹し、自分達も含めてすべてを批判する報道姿勢を貫くならば、社会にとって有益であると認めることもできる。だが近年のマスコミは、何が良いことで何が悪いことかを自分勝手に判断してそれを大衆に押し付けようとしている。『批判』の範囲を超え、政治的な意図を含ませた偏向報道を行って、自分に都合が良いように国民の意識を誘導しようとする姿をあからさまにし始めたのだ。
-中略-
 つまり、マスコミがしていることは報道ではなく自分達にとって都合の良いムードを作り上げるための宣伝で、そしてその行動は不思議な事に日本を敵視し、批判する海外勢力や機関の活動とベクトルを一致させているのである。

(ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり -5冥門編- P358より)



もはや悪意しか感じない一部メディアの談話報道のやり方



朝日新聞支局長



今日の朝日新聞

<以下参照>
戦後70年の安倍談話―何のために出したのか
2015年8月15日(土)付朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/paper/editorial.html?iref=comtop_gnavi
※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい

 いったい何のための、誰のための談話なのか。

 安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。

 侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。

 しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。

 この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。

■「村山」以前に後退

 談話全体を通じて感じられるのは、自らや支持者の歴史観と、事実の重みとの折り合いに苦心した妥協の産物であるということだ。

 日本政府の歴史認識として定着してきた戦後50年の村山談話の最大の特徴は、かつての日本の行為を侵略だと認め、その反省とアジアの諸国民へのおわびを、率直に語ったことだ。

 一方、安倍談話で侵略に言及したのは次のくだりだ。

 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」

 それ自体、もちろん間違いではない。しかし、首相自身が引き継ぐという村山談話の内容から明らかに後退している。

 日本の大陸への侵略については、首相の私的懇談会も報告書に明記していた。侵略とは言わなくても「侵略的事実を否定できない」などと認めてきた村山談話以前の自民党首相の表現からも後退している。

 おわびについても同様だ。

 首相は「私たちの子や孫に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。

 確かに、国民の中にはいつまでわび続ければよいのかという感情がある。他方、中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある。

 政府として反省や謝罪を示しても、閣僚らがそれを疑わせる発言を繰り返す。靖国神社に首相らが参拝する。信頼を損ねる原因を日本から作ってきた。

■目を疑う迷走ぶり

 謝罪を続けたくないなら、国際社会から偏った歴史認識をもっていると疑われている安倍氏がここで潔く謝罪し、国民とアジア諸国民との間に横たわる負の連鎖を断ち切る――。こんな決断はできなかったのか。

 それにしても、談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだった。

 安倍氏は首相に再登板した直後から「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と表明。村山談話の歴史認識を塗り替える狙いを示唆してきた。

 そんな首相の姿勢に中国や韓国だけでなく、米国も懸念を深め、首相はいったんは閣議決定せずに個人的談話の色彩を強めることに傾く。

 それでは公式な政府見解にならないと反発した首相側近や、公明党からも異論が出て、再び閣議決定する方針に。節目の談話の扱いに全くふさわしくない悲惨な迷走ぶりである。

 この間、国内のみならず欧米の学者も過ちの「偏見なき清算」を呼びかけた。世論調査でも過半数が「侵略」などを盛り込むべきだとの民意を示した。

 そもそも閣議決定をしようがしまいが、首相の談話が「個人的な談話」で済むはずがない。日本国民の総意を踏まえた歴史認識だと国際社会で受け取られることは避けられない。

 それを私物化しようとした迷走の果てに、侵略の責任も、おわびの意思もあいまいな談話を出す体たらくである。

■政治の本末転倒

 国会での数の力を背景に強引に押し通そうとしても、多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない。

 首相は未来志向を強調してきたが、現在と未来をより良く生きるためには過去のけじめは欠かせない。その意味で、解決が迫られているのに、いまだ残された問題はまだまだある。

 最たるものは靖国神社と戦没者追悼の問題である。安倍首相が13年末以来参拝していないため外交的な摩擦は落ち着いているが、首相が再び参拝すれば、たちまち再燃する。それなのに、この問題に何らかの解決策を見いだそうという政治の動きは極めて乏しい。

 慰安婦問題は解決に向けた政治的合意が得られず、国交がない北朝鮮による拉致問題も進展しない。ロシアとの北方領土問題も暗礁に乗り上げている。

 出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。

 いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。

 その責めは、首相自身が負わねばならない。


<参照終わり>

朝日などの今回の談話に否定的な意見が多いメディア
永遠に謝り続けろというのなら朝日新聞なんかはずっと以下の事で日本国民に謝り続けなければならないはずなんだが?

2014年9月21日放送「たかじんのそこまで言って委員会」


20140921 たかじん 103
「日本のクオリティペーパーを自認してきた
天下の朝日新聞」

20140921 たかじん 104
「しかし、度重なる誤報…
そして謝罪」

20140921 たかじん 105
「今や朝日ではなく
落日だと揶揄される事態」

20140921 たかじん 106
「慰安婦記事で日本を貶め」

20140921 たかじん 107
「吉田調書をめぐる記事で
福島第一原発の職員達を貶め


20140921 たかじん 108
「世界に…日本は性奴隷の国だとアピールし」

20140921 たかじん 109
福島原発の事故は
日本のセウォル号事件

…だとの誤解を生む原因を作った朝日新聞


20140921 たかじん 110
「そんな朝日に対して週刊文春は
朝日新聞 売国のDNA
と題する記事を掲載した」


20140921 たかじん 111
「朝日新聞が売国かどうかはともかくとして
これまで、朝日が一部で
日本を貶める記事ばかり掲載してきた!
との批判を受けてきた事も
確かである。」



20140921 たかじん 112 朝日新聞捏造報道…自作自演「K・Yサンゴ」
「今から25年前の1989年4月20日
朝日新聞夕刊一面に大きなカラー写真付きの記事が掲載された」


20140921 たかじん 113
「写真の下には
サンゴ汚したK・Yってだれだ
…との見出し
そして記事にはこう書かれている」


20140921 たかじん 114
「日本人は、落書きにかけては
今や世界に冠たる民族かもしれない」


20140921 たかじん 115
「だけどこれは、将来の人たちが見たら
八〇年代日本人の記念碑になるに違いない」


20140921 たかじん 116
「百年単位で育ってきたものを、
瞬時に傷つけて恥じない、」


20140921 たかじん 117
「精神の貧しさの、
すさんだ心の…。
にしても、一体「K・Y」ってだれだ。」


20140921 たかじん 118
「しかし、掲載後まもなく写真に疑問がもたれ

20140921 たかじん 119
朝日新聞のカメラマンが自分で意図的に傷をつけた
捏造写真である事が判明した」


20140921 たかじん 120 朝日新聞捏造報道…自作自演「K・Yサンゴ」
「そう、記事は自作自演だったのだ…」

20140921 たかじん 121 朝日新聞捏造報道…自作自演「K・Yサンゴ」
「その後朝日新聞は
サンゴ写真 落書き、ねつ造でした 深くおわびします
…との謝罪、訂正記事を掲載」


20140921 たかじん 122 朝日新聞捏造報道…自作自演「K・Yサンゴ」
カメラマンは解雇となり
当時の一柳東一郎社長は引責辞任した」


20140921 たかじん 123 朝日新聞捏造報道…自作自演「K・Yサンゴ」
「しかし、この問題は捏造写真もさることながら
記事の内容・表現にも問題があると言えないだろうか?」


20140921 たかじん 124
世界に冠たる民族
八〇年代日本人の記念碑

…など、一部の日本人の行為を
日本人全体の犯罪であるかのように糾弾し


20140921 たかじん 125
日本人をモラルなき悪質民族と決めつける
こうした発想や表現は何処から来たのか?


20140921 たかじん 126
「元東京大学教授の酒井信彦氏はこの表現について」

20140921 たかじん 127
「日本人を悪者として貶めたい欲求があるからではないのか
日本は日本人を“悪”ときめつけて糾弾する事で
自分自身は正義の立場に立つ事ができる


20140921 たかじん 128
他を貶めることで自分を美化し
道徳的優越感を享受したいのであれば

それは偽善である」


20140921 たかじん 129 酒井信彦氏 朝日新聞は…日本や日本人同胞を虐げる偽善だから『虐日偽善』と表現すべきである
日本や日本人同胞を虐げる偽善だから
“虚日偽善”(ぎゃくにちぎぜん)と表現すべきである」


20140921 たかじん 130
「…と語り
朝日新聞を痛烈批判している


20140921 たかじん 131
「サンゴ捏造問題で当時の社長は引責辞任したが」

20140921 たかじん 132
「吉田調書をめぐる記事の誤りを認めた先の会見で
現社長の木村伊量氏は」


20140921 たかじん 133
「報道部門の最高責任者である
杉浦信之編集担当取締役の職を解くと発表したが」


20140921 たかじん 134
「自らの進退については
編集部門の抜本的改革のおおよその道筋を付けた上で
速やかに進退について判断する
…と述べ、辞任を示唆するにとどまっている


20140921 たかじん 135朝日新聞の記事で
日本や日本人が貶められているとしたら

その罪は大きいと言わざるを得ないが…


20140921 たかじん 136
「そこで皆さんに質問です
あなたは、朝日新聞は
どう責任を取るべきだと思いますか?


20140921 たかじん 137





ヘリコプター護衛艦 DDH181 ひゅうが
以下は安倍総理の70年談話発表前の2015年8月9日放送「そこまで言って委員会NP」からですが…

<参考過去記事>

そこまで言って委員会NP…保守論客からの緊急提言!“チーム櫻井"の「大日本大改造計画」スペシャル!! …戦後70年日本外交改造計画(他)…安倍談話は積極的平和主義と…東京裁判史観を改める【動画・ツイッター他】
http://omoixtukiritekitou.blog79.fc2.com/blog-entry-2802.html



そこまで言って委員会NP 20150809 33
櫻井よしこさん
考えてみると、日本は最初に私いいましたけども
本当に国家の岐路にあるんですよね。
これでちゃんとした国に日本がなれるかどうかという分かれ道に差し掛かっていて

ある意味ではその…安倍さんの足を引っ張って、その謝罪をさせたいというような人達はこれが最後のチャンスだというふうに見てる節がある。
私達は冷戦で勝ったんですよ。
冷戦で勝った私達の路線が正しかったということをもっと認識して
それこそ台湾とかですね、それこそ他のアジアの国々とか
日本を非常に高く評価しているアジアの国々にもっとこの耳を傾けて

(西岡力氏「そして中国共産党を倒すです
それが最終的に冷戦に勝つ事です。」)
…それで、この価値観の戦いの最終的な山場に私達いるんですね
民主主義と、そうでないところ…
人権と人権無視のところ…
国際法守るところと守んないところ

ほんとに白と黒の世界に分かれているこの価値観が今ぶつかり合ってるそのまっただ中で…
この70年談話をなんとか縛ろうとしている人達がいるわけですから

これ縛らせたらならないわけで
だからこそ私達国家基本問題研究所はですね
憲法も、それから中国に対しても、拉致に対しても日本がやるべき事…
過激に思われるかもしれないけれども
本当に考えたらこれが正しいと思う事をず~っと言ってきたんですね。

ですからここの番組を基にしてですね…広げて行って。


(会場笑い)

辛坊治郎氏
「ということでまあ…ここはですね、もう圧倒的多数で実現可能という結論にさせて頂きます。」

(会場拍手)



そして談話発表後…

<以下参照>
【戦後70年談話】
櫻井よしこ氏「安易な謝罪の道をとらなかった」と評価 「『日本の視点を忘れるな』と示した」
2015.8.15 07:00更新 産経ニュース
http://www.sankei.com/politics/news/150815/plt1508150004-n1.html

 ジャーナリストの櫻井よしこ氏は14日、首相談話を評価した。櫻井氏のコメントは次の通り。


 
 第1に、戦後の日本に対する世界の支援に深く感謝し、子や孫たちに「謝罪」を続ける宿命を背負わせないよう明記している。「侵略」という言葉を使ったが、一人称ではなく歴代政権の姿勢として、国際社会の普遍的な価値観としての言及だったのは、非常に良かったと思う。

 「侵略」「お詫び」という言葉が注目されていたが、日本国民が反省している気持ちを十分に表しながら、外の声に押され、安易な謝罪の道をとらなかったことは、日本のため、世界のためにも建設的だ。

 安倍晋三首相の記者会見では、「『国策を誤り…』など抽象的な用語でなく、どのように針路を誤ったのか歴史の教訓を具体的にくみ取らなければならない」と述べていた。過去の談話の精神を引き継ぐ一方で、これは村山談話の批判と感じた。

 第2に、歴史を振り返って、植民地支配の波がアジアにも押し寄せていたことに触れ、「日露戦争は植民地支配のもとにあったアジア、アフリカの人々を勇気づけた」とした。歴代首相で、そういうことを述べた人がいたか。歴史の事実として、人類の歩みの中に日本もあったと確認したことは良かっただろう。

 また、経済のブロック化が進み日本が孤立感を深めたという指摘は、歴史を学べば学ぶほどそこに近づく真実だと感じる。安倍首相は歴史について日本の視点を忘れてはならないと、示したと思う(談)


<参照終わり>



日本視点の歴史…
自分達日本人の中に、今どれだけの人が日本視点の歴史観を持っているだろうか?



戦艦 長門

そこまで言って委員会NP 8月2日太平洋戦争とは何だったのか?
そこまで言って委員会NP 8月2日太平洋戦争とは何だったのか?
https://youtu.be/7DJh5oi9DTI


そこまで言って委員会NP
2015年8月2日(日) 13時30分~15時00分 の放送内容

シリーズ戦後70年(4)太平洋戦争とは何だったのか?日本人なら知っておくべき“真実"徹底解明SP▽開戦、激戦、敗戦・・・悲劇はなぜ起きた?▽役所広司あの戦争を語る.

出演者
司会
辛坊治郎 渡辺真理 田嶋陽子 桂ざこば 原田眞人 長谷川幸洋 宮家邦彦 井上和彦 竹田恒泰 背山麻理子
ゲスト
森本敏(元防衛大臣) 西岡力(東京基督教大学教授)
VTR出演
役所広司

番組内容

シリーズ戦後70年(4)太平洋戦争とは何だったのか?日本人なら知っておくべき“真実"徹底解明スペシャル! ▽あの戦争をもっと早く終結させることはできなかったのか? ▽あの戦争を回避することはできたのか? ▽特攻隊は“自爆テロ"だったのか? ▽あの戦争は侵略戦争だったのか? ▽映画「日本のいちばん長い日」役所広司&原田眞人監督が激白


[そこまで言って委員会NP 【シリーズ「戦後70年」太平洋戦争とは何だったのか?徹底解明SP】 ]
の番組概要ページ - gooテレビ番組
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/ytv/55238/397808/
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放送日
2015年8月2日(日) 13:30~15:00

放送局
よみうりテレビ


番組概要

オープニング (その他)


1945年8月15日の正午、日本は終戦を迎えた。しかし、玉音放送を阻止して徹底抗戦を叫ぶ陸軍の若手将校たちがいた。そんな知られざる真実を描く映画「日本のいちばん長い日」。3年8か月に及んだ太平洋戦争がどのように終結したのかが詳細に描かれている。今回は開戦、激戦、敗戦へとつながる太平洋戦争について専門家を交えて大激論。

そこまで言って委員会NPのHP。
原田眞人ら出演者を紹介。辛坊治郎は脊山麻理子について「この業界にいて、ずっと会いたかった」「ニアミスはずっとしてた。日テレの局アナですよ?」脊山麻理子のサイン入り写真集を持ちながら語った。
辛坊治郎が森本敏に「安保法制が衆議院を通りましたが、安全保障の専門家としてご意見は?」と質問し、森本は「ずいぶん議論しているが一般への理解は広まらない。国会の審議が90%野党に質問を預けていて、質問の内容は存立危機の合憲違憲に終始した」、西岡力が「脅威の中身を語るべき。脅威が大きくなってアメリカの力が落ちてる中でどうすべきか、が本質論なのにその議論がなく、法律論に終始した」、田嶋陽子は「イランとアメリカだって交渉して平和に解決しようとしてるのに、日本だけが時代おくれ」とコメントした。


シリーズ「戦後70年」太平洋戦争とは何だったのか?徹底解明SP (バラエティ/情報)

1945年(昭和20年)8月15日正午、昭和天皇が日本国民に玉音放送で降伏を伝えた。この放送を阻止して徹底抗戦を果たすためクーデターを起こした陸軍の若手将校がいた。日本は太平洋戦争をどのように終結させたのか。太平洋戦争末期の1945年4月、かつて侍従長として昭和天皇に仕えた鈴木貫太郎を首相とする新内閣が発足。陸軍大臣には鈴木が侍従長時代に侍従武官を務めた阿南惟幾が就任。7月、連合国軍はポツダム宣言を発表し無条件降伏を要求。降伏か本土決戦か連日閣議が開かれたが議論は縺れ結論は出ない。8月にアメリカは広島と長崎に原爆を投下し何十万もの命が奪われた。国民の苦しみに思いを馳せ平和を求める昭和天皇に対し、陸軍内では一億玉砕論が渦巻き阿南は苦悩した。8月14日に御前会議が開かれ、閣僚たちは「御聖断」のもと降伏を決定。陸軍600万の代表として本土決戦を主張していた阿南は天皇陛下の聖断を拝してからは陸軍の暴走を止めることに腐心したが、終戦に反対する陸軍の若手将校たちはクーデターを計画し、降伏を伝える玉音放送を阻止すべく皇居やラジオ局の占拠に動きはじめる。昭和天皇実録によると、1942年6月ミッドウェー海戦で日本が敗北し戦況が暗転した後、天皇は12月に侍従らに「戦争をいかなる段階にて終結させるかが重要」と語られ、終戦前年の1944年9月には「和平」の言葉が初めて出され、1945年3月の東京大空襲、5月のドイツ無条件降伏の後6月に昭和天皇は、総理・陸海軍大臣らに「戦争の終結」の実現に努力するよう明白に伝えられたとされる。あの戦争をもっと速く終結することはできなかったのか。映画「日本のいちばん長い日」で阿南惟幾を演じた役所広司は、映画を通じて日本人に伝えたいことについて「若い人は戦争ものかと思うかも知れない。70年は平和に暮らしているが、平和に暮らすために日本はどこに向かえばいいのか、映画を機会に話し合ったりしてもらえると、作ったかいがある」と語った。
桂ざこばは「早期終結できた」を選択し「竹やりでB-29を落とすとか言い出したら勝てない」、田嶋陽子は「早期終結はムリ」を選択し「東京が焼け野原になってるのに、まだ本土決戦とか言ってる青年将校はどういう情報を得ていたのか。無知な人らに日本を任せてたのは誰に責任があるんだ」とコメントしたが、井上和彦は「無知なのは田嶋さん」「3年8か月の中で、戦略的、戦術的なターニングポイントがあった。レイテ沖開戦で海軍が継戦能力を失った。ところが特攻隊が10か月でアメリカの艦艇を278隻沈めて航空特攻でやれるとなった。情報を持っていたから続いた。それに国民が許さない」と語った。
宮家邦彦は「終戦の最大の問題は、日本の官僚的な意思決定の能力の欠如。官僚は無謬だから一回始めたら止められない。それを止められるのは官僚を超えた政治の力。政治決断しかないのに政治責任とるやつがいなかった」「オリンピックのスタジアムだって官僚の積み重ねで、やめたのは総理の判断」、森本敏は「陛下が聖断で開戦をした。最後に陛下決断するプロセスが機能しないと戦争を終えられなかった。現に御聖断が下って終えられたが、ポツダム宣言のときに御聖断ができていれば原爆、ソ連参戦を防げたかもしれない」「国体護持、条件闘争などのぐずぐずした10日間が国家を誤らせた」、西岡力は「陛下は立憲君主に徹してらっしゃった。自分で意見を言っては独裁者になる、なってはいけないと日本のシステムに徹しておられた」と語った。

アメリカの手のひらで転がされていた日本


シリーズ「戦後70年」太平洋戦争とは何だったのか?徹底解明SP (バラエティ/情報)

西岡力は「早期終結はムリ」を選択し「逆に、本土決戦まで行った可能性は十分あったと思うが、陛下が自分を犠牲にして止めるとあのタイミングでされた、鈴木首相がいたから止まった」、原田眞人は「アメリカも国内で割れていた」、森本は「ポツダムの起草をした陸軍長官は日本をよく知っていた。硫黄島と沖縄の莫大なアメリカの犠牲が、本土を攻撃したときに被る被害を考えさせた」「我が方が情報収集できていれば」、竹田恒泰は「アメリカでバーンズ国務長官だけが早期講和に反対していて、一人でひっくり返した」「ポツダム宣言前に核実験をやっていて、大統領は核実験の成功後にスターリンとやりあいたかったので原爆投下を優先した」「アメリカが戦争をやめる気がなかった」と述べた。
井上和彦が「広島と長崎の原爆は実験だったからアメリカがやりたかったこと」と主張すると、森本敏は「ポツダム宣言を受け入れたことに対して原爆を落としているのはその後アメリカが不利になる」とコメント。竹田恒泰は「日本は天皇陛下の地位を保証するがあるかないかでおおきな違い」と語り、「一文を外して計算してだされたものだった」と説明。西岡力は「日本側で始めることも終わらせることもできなかった」と付け加えた。
森本敏が「当時強い政治家がいたのか」と質問を受けると「政治家として力を発揮出来る人がいなかった」とコメント。「大臣のほとんどが軍人だった」とコメント。さらに「決断力を発揮するまでに時間がかかってしまう」システムなどを解説した。
辛坊治郎が「日本のいちばん長い日」の昭和天皇役を本木雅弘が務めることについてキャスティングについて説明。品格などを昭和天皇を映画で出すのであれば美形の品格でなければならないと思って選んだとコメント。脊山麻理子は、ピュアに日本のことを考えていたということが伝わって感動したとコメント。
1941年12月8日、日本は真珠湾攻撃によってアメリカとの戦争に突入した。日本はなぜ国力、軍事力で圧倒的なアメリカに戦争を挑んだのか。開戦に至る経緯として、盧溝橋事件から突入した日中戦争により日米の関係が険悪なものになった。1939年のドイツがポーランド侵攻により、英・仏が宣戦布告しヨーロッパで第二次世界大戦が勃発。これより日本・ドイツ・イタリアは軍事同盟を成立。日本軍は仏印へ進駐。アメリカは日本への鉄くずの輸出を禁止する。日本は蘭印資源交渉を試みたが失敗。これにより日本軍は1947年7月南部仏印へ進駐するとアメリカは安全保障上の問題として捉えると声明を発表。在米日本資産の凍結と石油の対日前面禁輸を行った。ABCD包囲網と対日経済封鎖にふみきった。日本にとってはアメリカに石油資源を頼っていたので国家存亡の危機となっていた。日本は資源を求めて戦争へ踏み切った。その時に、当時の首相の近衛文麿首相から日米戦の見通しを尋ねられた山本五十六は日米戦争を回避するように求めた。近衛文麿はルーズベルト大統領と直接会談するしかないと判断。1947年8月7日会談の正式な通達は野村吉三郎駐米大使からルーズベルト大統領に直接手渡されたが結局流れてしまった。アメリカ国務省は首相会談は日本側につけいる隙を与えるだけだと反対した。しかしチャーチルの回想によれば、戦争はやる、しかし宣戦はしない、そしてますます挑発的な態度をとるようにすると語っていたとする。最初の一撃を日本に撃たせるとするような発言だったと説明。
「日本のいちばん長い日」の映像が流れた。
日本軍内部では非戦派と強硬派と分かれていたが帝国国策遂行要領を可決。しかし昭和天皇は、明治天皇の御製を読みあげ、日米の平和解決を希望していた。10月16日近衛文麿総理は政権を投げ出し、東條英機内閣が誕生。その後コーデル・ハル米国務長官は日本に対し仏印、中国からの全面撤兵、三国同盟からの形骸化を求めるハル・ノートを突きつけた。しかし東條英機は残された道は戦争しかないとした。そして12月1日に御前会議で日本はアメリカ、イギリス、オランダに宣戦布告を宣言した。
「あの戦争を回避することができた?」というパネラーに質問が出題された。
できたと主張する宮家邦彦は「満州の権益を日米で共有できた」と掲げ、「インテリックスがあれば、回避ができた、外交があればできたが、外交がなく、入る要素もなかった」と主張。森本敏は「ルーズベルトが持っている反日感情が許しがたい」と語った。西岡力らが「様々なところから日本を参戦しようとしている工作があるなかで日本が回避できるとは思わない」とコメント。
竹田恒泰は「ソ連のスパイが入り込んでいて、日本とアメリカが戦うことが都合のいいことだった」とコメントした。西岡はなぜナチス・ドイツと組んだのかという問題を提起して、戦略がミスだったとコメント。森本敏は日本が発展を遂げて大国としての振る舞いを見せようとしていることがアメリカにとって許せないことだったのではないかとコメント。
CMのあと「日本は勢いがありすぎた!?」を放送。


シリーズ「戦後70年」太平洋戦争とは何だったのか?徹底解明SP (バラエティ/情報)

三宅久之氏は生前「日本はあまりにも尊大だったのではないか」などと、つねに話していたという。これについて森本敏は「僕もそう思う。明治維新が始まってからちょうど65年ほど経ったころだった。歴史は繰り返す」などと話した。また「最後の戦地の血の犠牲のおかげで、本土が蹂躙されることがなかった。それが戦後70年の日本の発展につながった」などと話した。
日米開戦して怒涛の勢いで太平洋上の島々を占拠したが、ミッドウェー海戦を機に戦局は一変し、アメリカの反撃を受けることとなった。そんな中、考案されたのが「体当たり攻撃」で、編成されたのが「神風特別攻撃隊」である。戦果は多大で、アメリカ軍は特攻隊をかなり恐れたと伝えられているが、結果、作戦はことごとく失敗。敗戦となった。終戦の翌日、「神風特別攻撃隊」を指揮した大西瀧治郎 中将は自決した。ちなみに、この大西瀧治郎が「特攻作戦」の生みの親だと定説化しているが、一部で異説もあり、それは特攻作戦が考案されたのは戦争初期で、それを指揮していたのが黒島亀人だったという。
今年1月13日付けの朝日新聞の夕刊コラムにて「少女に爆発物を巻きつけて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった。」という一文。これに対し産経新聞は「強い怒りがこみ上げてきた。特攻隊とテロを同一視しているからだ」などと猛反発した。そこでスタジオの出演者に「日本の特攻隊は自爆テロだった?」という質問。出演者全員が「違う」と答えた。
CMのあと「同じなんて言うとバカにされますよ 特攻隊と自爆テロの明確な違い」


シリーズ「戦後70年」太平洋戦争とは何だったのか?徹底解明SP (バラエティ/情報)

911のとき、アメリカに向かう飛行機に乗っていたという原田眞人は、あの事件の際に、テロを「神風」と称したメディアに対して強い怒りを感じたという。竹田恒泰は「民間人が武装して攻撃に参加したら国際法違反。日本は国際法を守って特攻を行った」などと解説した。
西岡力は特攻作戦について「卑怯なテロと一緒にするのは非常に腹が立つ」などとした。また、竹田恒泰は「アメリカ人が度肝を抜かすことを成し遂げた。特攻隊が飛んでなければ日本はなかったと思う」などと話した。
田嶋陽子は他のメンバーに対し「大きな言い訳を聞いているようだ」などとし、「当時の日本が正しい方向に行ったとは思えない」などと話した。
CMのあと「あれは侵略戦争だったのか!?」



シリーズ「戦後70年」太平洋戦争とは何だったのか?徹底解明SP (バラエティ/情報)

1945年8月15日、映画「日本のいちばん長い日」で描かれた壮絶な一日を経て、日本は終戦を迎えた。この日から日本は敗戦国となり、戦勝国の裁きを受けることになる。A級戦犯の裁判が行われた東京裁判は極東国際軍事裁判所条例に基づき行われたが、この条例は「通常の戦争犯罪意外に、共同謀議をして侵略戦争を行い、世界平和を撹乱したとする平和に対する罪」など、人道に対する罪についても規定されていた。裁判官は11ヶ国から選ばれたが、そのうちの一人ラダ・ピノード・パール判事は、この裁判について「判決ありきの茶番劇」などとし批判。被告の全員無罪を主張した。また、この裁判を指揮したマッカーサー司令官はのちに、日本の行った戦争が侵略戦争だったかどうかについて「資源の乏しかった日本が、多くの国民が失業に陥ることを恐れて行った“安全保障”であった」としている。
1965年には作家・林房雄によって「大東亜戦争肯定論」が書かれ、ペリー来航以来の日本の近代史を「東亜百年戦争」とし、「大東亜戦争こそ、その全課程の帰結」だとしているが、ここでスタジオの出演者に「あの戦争は侵略戦争だった?」と質問が投げかけられた。
「日本が始めた戦争は侵略戦争だったのか?」という質問に「YES」と答えた宮家邦彦は「欧州諸国も相当なことをやっているが、彼らのやっていたことが一部でも侵略行為であれば日本がやったことも侵略行為になると思う」などと話した。また、原田眞人は「仕掛ける側が侵略戦争」だとし、「戦争は最初と最後、どこをとっても侵略というものはある」などと話した。
CMのあと「“侵略戦争の定義” 定まらないのは戦勝国の責任」


シリーズ「戦後70年」太平洋戦争とは何だったのか?徹底解明SP (バラエティ/情報)


「日本が始めた戦争は侵略戦争だったのか?」というテーマでスタジオトーク。井上和彦は「戦略戦争ではない」とした上で、「アジア解放戦争」であるとした。
長谷川幸洋は「侵略戦争だ」とし、「現在の侵略の定義で考えれば、満州事変は、国を武力によって侵略した」などとした。それに対し西岡力は「現在の価値観で考えるのなく、当時の国際法上の規制の枠組みの中で話さないといけない。混同してはいけない」などと反論した。
脊山麻理子は「侵略戦争ではない」とし、「日本は最初から侵略するつもりじゃなく、追い詰められたのだと私は思う」などと話した。
CMのあと「本日2度目のおよよよよ」

エンディング (その他)

インターネット限定動画「涙のワケ」と番組公式携帯サイト告知。

「超・戦争論」の宣伝。
原田眞人は「すごく興味があるのは、きょうの出演者が映画“日本のいちばん長い日”を観て、良かったと思ったかどうかということ」などと話した。出演者全員「良かった」と答えたが、田嶋陽子は「みんな“良かった”の意味は違うと思うよ」などとした。

エンディング映像。




■終戦

※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい


そこまで言って委員会NP 2015082 001
「1945年8月15日…正午」

そこまで言って委員会NP 2015082 002
「昭和天皇が日本の国民に降伏を伝えた玉音放送…」


そこまで言って委員会NP 2015082 003
「この放送を阻止して、徹底抗戦を果たすため
クーデターを起こした陸軍の若手将校達がいた」


そこまで言って委員会NP 2015082 004
「終戦の日の知られざる真実を描いた
映画…日本の一番長い日が公開される」

そこまで言って委員会NP 2015082 005
「3年8か月に及んだ太平洋戦争をどのように終結させたのか」


そこまで言って委員会NP 2015082 006
太平洋戦争とは何だったのか?
序章「終戦」


そこまで言って委員会NP 2015082 007
「太平洋戦争末期
戦況が絶望的となった1945年4月」


そこまで言って委員会NP 2015082 008
「かつて、侍従長として昭和天皇に仕えた鈴木貫太郎を総理とする新内閣が発足」


そこまで言って委員会NP 2015082 009
「陸軍大臣には、鈴木の侍従長時代に侍従武官を務めた
阿南惟幾(あなみ これちか)が就任」

そこまで言って委員会NP 2015082 010
「7月、連合国はポツダム宣言を発表し
全日本軍の無条件降伏を要求
降伏か、
本土決戦か―
連日連夜閣議が開かれるが…
議論はもつれ、結論は出ない。」

そこまで言って委員会NP 2015082 011
「8月…アメリカは広島と長崎に原爆を投下
何十万もの命が奪われた」


そこまで言って委員会NP 2015082 012
「国民の苦しみに思いを馳せ
平和を求める昭和天皇に対して」

そこまで言って委員会NP 2015082 013
「陸軍内では一億玉砕論が渦巻き
阿南は、決断に苦悩する」


そこまで言って委員会NP 2015082 014
「8月14日御前会議が開かれ
閣僚たちは天皇の聖断の元、降伏を決定」

そこまで言って委員会NP 2015082 015
「陸軍600万人の代表として
本土決戦を主張していた阿南は
天皇陛下の聖断を拝してからは
陸軍の暴走を止める事に腐心するが…」


そこまで言って委員会NP 2015082 016
「終戦に反対する陸軍の若手将校達は
クーデターを計画
日本の降伏を伝える玉音放送を中止すべく
皇居やラジオ局の占拠へと動き始める」

そこまで言って委員会NP 2015082 017
「終戦前夜、あの戦争を終わらせるために戦った男たちの暑いドラマ」

そこまで言って委員会NP 2015082 018
「それは、日本史、上最大の決断の時であり」

そこまで言って委員会NP 2015082 019
「紛れもない真実である。」

そこまで言って委員会NP 2015082 020
「以前、当委員会でも特集した昭和天皇実録によると」


そこまで言って委員会NP 2015082 021
「1942年6月、ミッドウェー海戦で日本が敗北し戦況が暗転したのち」

そこまで言って委員会NP 2015082 022
「天皇は12月、侍従らに
戦争をいかなる段階にて終結させるかが重要…
と語られ」


そこまで言って委員会NP 2015082 023
「終戦前年の1944年9月26日には
天皇から、和平という言葉が初めて出され」


そこまで言って委員会NP 2015082 024
「そして、1945年3月の東京大空襲」

そこまで言って委員会NP 2015082 025
「5月8日の同盟国ドイツの無条件降伏の後」



そこまで言って委員会NP 2015082 026
「6月22日に昭和天皇は総理、陸海軍大臣らに
戦争の終結の実現に努力するよう…
明白に伝えられたとされる」


そこまで言って委員会NP 2015082 027
「その事実を考えると
あの戦争をもっと早く終結する事は出来なかったのか…という疑問が残る」


そこまで言って委員会NP 2015082 028
「今回、映画日本の一長い日で
終戦に向けて苦悩する陸軍大臣阿南惟幾を演じた役所広司さんに話を聞いた」

そこまで言って委員会NP 2015082 029
役所広司氏
「そこまで言って委員会NPをご覧の皆さんこんにちは、役所広司です
まあ…見るお客さんには…まあ若い人達は戦争ものか…と思うかもしれないですけど
やっぱりあの日…戦争を、終戦を迎えて70は戦争が起こらず平和に暮らしてきているわけですけど
戦争がなくて、平和に暮らしていくためには日本はこれからどこに向かって行けばいいのかって事を…
この映画を機会に、みんなで話しあったり、見るようにしていただけると
まあ、この映画を作った…かいがあって、この映画は大成功だと思います。」


そこまで言って委員会NP 2015082 030
「そこでみなさんに質問です
あなたは、あの戦争をもっと早く終結させる事はできたと思いますか?」

そこまで言って委員会NP 2015082 031








■開戦

※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい


そこまで言って委員会NP 2015082 032
「今から74年前の1941年12月8日」


そこまで言って委員会NP 2015082 033
「日本は真珠湾攻撃によって…アメリカとの戦争に突入した」


そこまで言って委員会NP 2015082 034
「だが、何故日本は国力・軍事力で圧倒的に勝っていた大国アメリカに戦争を挑んだのか?」


そこまで言って委員会NP 2015082 035
「映画、日本の一番長い日では終戦が描かれていたが
ここでは開戦に至る経緯を見て行こう…」

そこまで言って委員会NP 2015082 036
太平洋戦争とは何だったのか?
第2章「開戦」

そこまで言って委員会NP 2015082 037
「1937年7月
北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した事件を期に始まった日中戦争」


そこまで言って委員会NP 2015082 038
「その長期化に伴い、中国への侵攻を非難し
中国を支援していた英米と日本の関係は険悪化していく」


そこまで言って委員会NP 2015082 039
「そんな中、1939年
ドイツのポーランド侵攻を受け
英・仏がドイツに宣戦を布告し
ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発」

そこまで言って委員会NP 2015082 040
「すると日本は、ドイツ・イタリアと三国軍事同盟を締結」


そこまで言って委員会NP 2015082 041
「同時に日本軍は
英・米が中国に援助物資を送るルートを断つべく仏印へ進駐」


そこまで言って委員会NP 2015082 042
「それによりアメリカはさらに反発し
日本への鉄くずの輸出を禁止する」


そこまで言って委員会NP 2015082 043
「日本は、戦争を継続するのに必要な石油などの戦略物資を買いつける為
蘭印当局と交渉を進めていたが…失敗」


そこまで言って委員会NP 2015082 044
「そのため、日本軍は1941年7月
さらに南部仏印へ進駐する」


そこまで言って委員会NP 2015082 045
「するとアメリカは
これはアメリカの安全保障上の問題として捉える
との声明を発表」


そこまで言って委員会NP 2015082 046
「在米日本資産の凍結と
石油の対日全面禁輸を行い…」


そこまで言って委員会NP 2015082 047
「イギリス、中国、オランダと共に対日経済封鎖に踏み切る
いわゆるABCD包囲網である」


そこまで言って委員会NP 2015082 048
「当時の日本は石油の90%以上をアメリカから輸入していたことを考えると
それはまさに、国家存続の危機だったのである」


そこまで言って委員会NP 2015082 049
「これにより、にわかに開戦論が高まったが
日米間にある圧倒的な国力の差は歴然であり」

そこまで言って委員会NP 2015082 050
「時の総理、近衛文麿から
日米戦の見通しを問われた連合艦隊司令長官山本五十六は」

そこまで言って委員会NP 2015082 051
山本五十六
「衛非やれと言われれば
初め半年や一年の間は
随分暴れてご覧にいれる」

そこまで言って委員会NP 2015082 052
山本五十六
「しかしながら2年、3年となれば
全く確信は持てぬ」


そこまで言って委員会NP 2015082 053
「と答え
近衛に日米戦争回避の努力を求めたという」


そこまで言って委員会NP 2015082 054
「この情勢を背景に近衛総理は
日米戦を回避するには、ルーズベルト大統領と直接会談するしかないと判断」


そこまで言って委員会NP 2015082 055
「1941年8月7日
昭和天皇にその旨上奏し
会見は速やかなるべし…
との指示を受ける。」


そこまで言って委員会NP 2015082 056
「会談の正式な申し入れは近衛メッセージとして8月28日
野村吉三郎駐米大使からルーズベルト大統領に手渡されたが
結局、首脳会談は流れてしまう」


そこまで言って委員会NP 2015082 057
「アメリカ国務省が…
首脳会談は日本側につけいる隙を与えるだけだと…
強行に反対したのである」


そこまで言って委員会NP 2015082 058
「ただ、時のイギリス首相チャーチルの回想によれば
この時既にルーズベルトに和平の意思はなく
「戦争はやる、しかし宣戦はしない
そしてますます挑発的態度をとるようにする」
…と語っていたという。」


そこまで言って委員会NP 2015082 059
「つまり、最初の一撃を日本に撃たせる
そんな考えを伺える発言だった。」

そこまで言って委員会NP 2015082 060
「一方、日本軍内部では対米開戦について
非戦派と強行派に分かれていたが」


そこまで言って委員会NP 2015082 061
「日米交渉が難航する中
大本営政府連絡会議は9月3日
帝国国策遂行要領を可決」


そこまで言って委員会NP 2015082 062
「それには、帝国は自存自衛を全うするため
対米戦争を辞せざる決意のもとに…
概ね10月下旬を目途とし、戦争準備を完成す…
との文言が盛り込まれた」


そこまで言って委員会NP 2015082 063
「9月6日の御前会議では
この方針が正式決定されるが」


そこまで言って委員会NP 2015082 064
「この時、昭和天皇は突然
明治天皇の御製
四方の海
みなはらからと
思う世に
など波風の
立ちさわぐらむ
-を読み上げた」


そこまで言って委員会NP 2015082 065
「昭和天皇は、日米交渉による平和的な解決を希望していたのだった。」


そこまで言って委員会NP 2015082 066
「10月16日
行き詰まる対米交渉と
主戦論を唱える陸軍との板挟みになった近衛総理は政権を投げ出し」


そこまで言って委員会NP 2015082 067
「東条英機内閣が誕生」


そこまで言って委員会NP 2015082 068
「その後、コーデル・ハル国務長官は日本に対し
仏印及び中国からの全面撤兵
三国同盟の形骸化などを求める」


そこまで言って委員会NP 2015082 069
「後に、ハル・ノートと呼ばれる
いわば最後通牒を突き付けてきた」

そこまで言って委員会NP 2015082 070
「だが、当時の日本陸軍は中国から撤兵する考えはなく
ハル・ノートを見た東条英機は
残された道は御前会議で決まった戦争以外にないだろう
-と口走ったという」


そこまで言って委員会NP 2015082 071
「そして、12月1日
御前会議で日本は、天皇裕仁の名のもとにアメリカ、イギリス、オランダに宣戦布告した」


そこまで言って委員会NP 2015082 072
「そこで皆さんに質問です
あなたは、あの戦争を回避する事ができたと思いますか?」


そこまで言って委員会NP 2015082 073






■激戦

※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい


そこまで言って委員会NP 2015082 074
「1941年12月8日
ついに…日本は日米開戦…太平洋戦争に突入する」


そこまで言って委員会NP 2015082 075
「開戦後、日本は怒涛の勢いで太平洋上の島々を占拠」


そこまで言って委員会NP 2015082 076
「1942年1月
マニラ占領」


そこまで言って委員会NP 2015082 077
「同年2月
シンガポール占領」


そこまで言って委員会NP 2015082 078
「3月
ジャワ島占領」


そこまで言って委員会NP 2015082 079
「しかし、6月のミッドウェー海戦で
日本軍は空母4隻
航空機300機を失い惨敗」

そこまで言って委員会NP 2015082 080
「これを機に戦局は一変
アメリカの猛反撃にあうことになる」


そこまで言って委員会NP 2015082 081
「元々、日本は物資に乏しく
短期決戦でしか勝てる見込みは無かったと言われているが」

そこまで言って委員会NP 2015082 082
太平洋戦争とは何だったのか?
第3章「激戦」


そこまで言って委員会NP 2015082 083
「映画、日本の一番長い日では
終戦を迎えた8月15日
陸軍大臣の阿南惟幾が壮絶な自害を遂げるシーンが描かれているが」


そこまで言って委員会NP 2015082 084
「実は、その翌日の8月16日に
もう一人の軍人が自決している」


そこまで言って委員会NP 2015082 085
「海軍中将
大西瀧治郎
特攻の生みの親とされ
特攻隊を送り出し多くの若者を死なせた全責任を取り割腹自決した男である」


そこまで言って委員会NP 2015082 086
「大西中将は特攻の海の親であったかどうかについては議論の余地があるが
彼は特攻作戦を指揮した事は事実だ」


そこまで言って委員会NP 2015082 087
「太平洋戦争末期の1944年10月」

そこまで言って委員会NP 2015082 088
「アメリカ軍のレイテ島への侵攻で後退を始めた日本軍は
フィリピンでアメリカ艦隊と艦隊決戦に持ち込むべく」


そこまで言って委員会NP 2015082 089
「捷一号作戦を考案した」

そこまで言って委員会NP 2015082 090
「フィリピンが敵軍に奪還されれば
本土まで爆撃される道が開かれてしまう事になる」


そこまで言って委員会NP 2015082 091
「もはや
通常の戦術では
この戦争に勝てない」


そこまで言って委員会NP 2015082 092
「そこで考案されたのが体当たり攻撃だった」


そこまで言って委員会NP 2015082 093
「敵を叩くには敵空母の甲板を潰し
飛行機の発着を不可能にする事」


そこまで言って委員会NP 2015082 094
「そのために零戦に250キロ爆弾を抱かせて
体当たりさせる…
これ以上確実な方法は無いと
大西中将は信じた」


そこまで言って委員会NP 2015082 095
「そして
特別攻撃隊が編成され
「しんぷう」隊と命名された」


そこまで言って委員会NP 2015082 096
「戦果は多大で
アメリカ軍が特攻隊を神経症になるほど怖れたと伝えられている」


そこまで言って委員会NP 2015082 097
「しかし、捷一号作戦をはじめ
作戦は悉く失敗に終わった」


そこまで言って委員会NP 2015082 098
「終戦の翌日
自決した大西中将は遺書を残していた
そこには特攻隊員らに対する感謝と
遺族に対する謝罪の言葉が記され」


そこまで言って委員会NP 2015082 099
「戦後を生きる日本人に向けて-
これから、どんなに苦しくても
日本人としての誇りを決して失わないでほしい
-との旨がつづられていたという」

そこまで言って委員会NP 2015082 100
「こうした事から大西が特攻の生みの親…と定説化しているが」


そこまで言って委員会NP 2015082 101
「一部で異説もある」


そこまで言って委員会NP 2015082 102
そこまで言って委員会NP 2015082 103
「それは、特攻作戦が考案されたのは戦争末期ではなく
初期の頃から特攻のための航空機や海軍兵器などが開発されテストが始まっていたという説」

そこまで言って委員会NP 2015082 104
「それが本当なら大西中将の指示以前から特攻は規定方針として準備されていたという事なる」

そこまで言って委員会NP 2015082 105
「さらにそれを指揮していたのが
真珠湾奇襲作戦を立案遂行し
あのミッドウェー海戦の作戦立案者でもあった
連合艦隊の黒島亀人主席参謀だったという説もある」


そこまで言って委員会NP 2015082 106
「ミッドウェーでの敗北以降
司令長官の山本五十六からも疎まれた黒島参謀は
艦隊から軍令部に転出
そこで特攻作戦を思いついたというのだ」

※参考:軍が組織的に準備したというよりは黒島参謀ら一部が主張していたにとどまり
実際に組織的に軍として動き出したのは戦争末期の1944年以降と見るのが妥当と思うが…

特別攻撃隊 - Wikipedia

戦死前提への過程

連合艦隊主席参謀としてモーターボートによる特攻の構想(後の震洋)を軍令部に語っていた黒島亀人が軍令部第二部長に就任すると、1943年8月6日戦備考査部会議において突飛意表外の方策、必死必殺の戦を提案し、一例として戦闘機による衝突撃の戦法を挙げた。1943年8月11日には第三段作戦に応ずる戦備方針をめぐる会議で必死必殺戦法とあいまつ不敗戦備確立を主張した。1943年6月末、侍従武官城英一郎航空の特攻隊構想である「特殊航空隊ノ編成ニ就テ」を立案する。内容は爆弾を携行した攻撃機による艦船に対する体当たり特攻で、専用機の構想もあり、艦船ごとの予期効果までまとめられていた。城は航空本部総務部長大西瀧治郎中将に相談して「意見は了とするが未だその時にあらず」と言われるが、城の決意は変わらず、上の黙認と機材・人材があれば足りると日記に残している


航空特攻

航空特攻は、前述の1943年7月ごろの城英一郎大佐による「特殊航空隊の編成に就て」が最初の具体的な提言と思われる。目的はソロモン、ニューギニア海域の敵艦船を飛行機の肉弾攻撃に依り撃滅すること、部隊構成、攻撃要領、特殊攻撃機と各艦船への攻撃法、予期効果がまとめられている。その後、軍令部第二部長黒島亀人の提案や1944年春に海軍省兵備局第3課長大石保から戦闘機による大型機に対する体当たり特攻が中央に要望されていたが1944年6月マリアナ沖海戦敗北まで中央に考慮する動きはなかった。




そこまで言って委員会NP 2015082 107
「特攻作戦は戦局が悪化して他に取るべき手段がなくやむにやまれず実施されたという定説は違っていたとすれば
特攻についての印象は大きく変わる」


そこまで言って委員会NP 2015082 108
「最後の勝利を信じて散って行った英霊達は
軍部に利用された人間爆弾だったのか?」


そこまで言って委員会NP 2015082 109
「今年(2015年)1月13日付の朝日新聞の夕刊コラムに
少女に爆発物を巻きつけて自爆を強いる過激派の卑劣。
70年前、特攻という人間爆弾に賞賛を送った国があった。
-という記述があった。」

そこまで言って委員会NP 2015082 110
「これに対して産経新聞は
わずか4行だが、この記事を読んで言葉を失った。
というより強い怒りがこみ上げてきた。
特攻隊とテロを同一視しているからだ。
-と猛反発」


そこまで言って委員会NP 2015082 111
「特攻隊は敗戦が濃厚になり、抜き差しならない環境の中で採用された究極の戦術だった。
標的は軍事施設だけであり、決して無辜の民は標的にしなかった。
-と批判した。」

※感想:この朝日の呆れたコラム…
実は「永遠の0」でまんまそのままののような描写がある…
「永遠の0」に出てくる高山なる新聞記者の発言

私は特攻はテロだと思っています。あえて言うなら、特攻隊員は一種のテロリストだったのです。それは彼らの残した遺書を読めばわかります。彼らは国のために命を捨てることを嘆くよりも、むしろ誇りに思っていたのです。国のために尽くし、国のために散ることを。そこには一種のヒロイズムさえ読みとれました。
(永遠の0 第九章カミカゼアタック P420より)



「永遠の0」登場人物の元特攻隊搭乗員

「空母は恐ろしい殺戮兵器だった。我々が攻撃したのは、そんな最強の殺戮兵器だ。
しかも特攻隊員達は性能の劣る航空機に重い爆弾をくくりつけ、少ない護衛戦闘機しか付けてもらえずに出撃したのだ。何倍もの敵戦闘機に攻撃され、それをくぐり抜けた後は凄まじい対空砲火を浴びたのだ。無防備の貿易センタービルに突っ込んだ奴らとは断じて同じではない!

(永遠の0 第九章カミカゼアタック P423より)



「永遠の0」登場人物の元特攻隊搭乗員

戦後多くの新聞が、国民に愛国心を捨てさせるような論陣を張った。まるで国を愛することが罪であるかのように。一見、戦前の逆のことを行っているように見えるが、自らを正義と信じ、愚かな国民に教えてやろうという姿勢は全く同じだ。その結果はどうだ。今日、この国ほど、自らの国を軽蔑し、近隣諸国におもねる売国奴的な政治家や文化人を生み出した国はない。
(永遠の0 第九章カミカゼアタック P425より)





そこまで言って委員会NP 2015082 112
「しかし、特攻作戦がやむにやまれぬ戦術ではなく
戦争初期から準備されたものだったとしたら…」

※感想:1943年は初期じゃないだろ…
少なくとも中期では?
黒島亀人が実際に軍令部に移動したのはさらに後…山本五十六長官戦死の後なのだが…
しかも1943年時は意見が出ただけで実際の編成・出撃は1944年のレイテ海戦



そこまで言って委員会NP 2015082 113
「そこで皆さんに質問です。
あなたは、太平洋戦争における日本の特攻作戦は自爆テロだったと思いますか?」

そこまで言って委員会NP 2015082 114








■敗戦

※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい


そこまで言って委員会NP 2015082 115b
そこまで言って委員会NP 2015082 115
「1945年8月15日
映画日本のいちばん長い日で描かれた壮絶な一日を経て
日本は終戦を迎える。」


そこまで言って委員会NP 2015082 116
「ようやく迎えた終戦は
日本にとって敗戦を意味した」


そこまで言って委員会NP 2015082 117
「この日から日本は敗戦国となり
戦勝国の裁きを受ける事となる」

そこまで言って委員会NP 2015082 118
太平洋戦争とは何だったのか?
第4章「敗戦」


そこまで言って委員会NP 2015082 119
「終戦後、日本に進駐したGHQは
9月11日」

そこまで言って委員会NP 2015082 120
「日米開戦時の総理だった東条英機ら39人の逮捕を命令したのを皮切りに
100人以上の戦犯を拘束」


そこまで言って委員会NP 2015082 121
「捕虜の虐待や非戦闘員の殺害など
法規や慣例に違反した通常の戦争犯罪行為を裁くBC級戦犯の裁判は
1945年中にフィリピンなど各地で始まったが」


そこまで言って委員会NP 2015082 122
「東条元総理らA級戦犯に対するいわゆる東京裁判は」


そこまで言って委員会NP 2015082 123
「翌1946年1月、GHQのマッカーサー総司令官の命によりつくられた
極東国際軍事裁判所条例に基づき実施された」


そこまで言って委員会NP 2015082 124
「この条例では、通常の戦争犯罪以外に
共同謀議をして侵略戦争を行い世界平和を攪乱したとする平和に対する罪や」


そこまで言って委員会NP 2015082 125
「民間人に対する大量殺戮など非人道的な行為に対する人道に対する罪についても規定された」


そこまで言って委員会NP 2015082 126
「そして裁判官はアメリカ、イギリス、フランス、中国、インド、フィリピンなど11か国から11人が選ばれ」


そこまで言って委員会NP 2015082 127
「裁判長はオーストラリアのウェッブ」


そこまで言って委員会NP 2015082 128
「首席検事はアメリカのキーナン」


そこまで言って委員会NP 2015082 129
「彼らは全て連合国側が任命した人物だった」

そこまで言って委員会NP 2015082 130
「裁判官を務めた一人であるインドのパール判事は」


そこまで言って委員会NP 2015082 131
「裁判の方向性が予め決定づけられており
判決ありきの茶番劇である…」


そこまで言って委員会NP 2015082 132
「と、この裁判そのものを批判し
被告の全員無罪を主張」


そこまで言って委員会NP 2015082 133
「検察側の南京事件は数十万人もの大虐殺…とする証言や証拠にも
パール判事は強い疑問を呈し」


そこまで言って委員会NP 2015082 134
「アメリカによる原爆投下こそが、
国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊として、
ナチスによるホロコーストに比せる唯一のものである
…と痛烈に批判した。」


そこまで言って委員会NP 2015082 135
「また、この裁判の焦点だったA級戦犯による「平和に対する罪」
つまり、日本が行った戦争が侵略戦争だったかについて」


そこまで言って委員会NP 2015082 136
「裁判を指揮したマッカーサー司令官自身が…後に
資源の乏しかった日本が輸入規制等により包囲され
何千万、何百万という国民が失業に陥ることを
恐れて行った“安全保障”であった
-と証言している。」


そこまで言って委員会NP 2015082 137
「現在…太平洋戦争と呼ばれているあの戦争について」


そこまで言って委員会NP 2015082 138
「1941年12月12日
当時の東条内閣は日米開戦以前の「支那事変」も含めて
「大東亜戦争」とすると閣議決定していたが」


そこまで言って委員会NP 2015082 139
「敗戦後、GHQによって戦時用語として使用が禁止され」

そこまで言って委員会NP 2015082 140
「あの戦争を欧米列強の侵略からアジアを解放し
大東亜共栄圏を建設するための戦いだったとする日本に対し
連合国側は東京裁判の過程で
あの戦争が日本の侵略戦争だったことをなんとしても立証する必要があった」


そこまで言って委員会NP 2015082 141
「1965年には作家林房雄によって
大東亜戦争肯定論が書かれ」


そこまで言って委員会NP 2015082 142
「幕末のペリー来航以来の日本の近代史を
アジアを植民地化していた欧米諸国に対する反撃の歴史」


そこまで言って委員会NP 2015082 143
「東亜百年戦争とし」


そこまで言って委員会NP 2015082 144
「1941年12月8日に始まる大東亜戦争こそ
その全過程の帰結だったとしているが」


そこまで言って委員会NP 2015082 145
「そこで皆さんに質問です。
あなたは、あの戦争は侵略戦争だったと思いますか?」


そこまで言って委員会NP 2015082 146
そこまで言って委員会NP 2015082 147




だが…戦争は8月15日には終わっていなかった…
日本人が忘れてならない北方での悲劇…

護憲派は9条があるから戦争が起こらない…攻めてこないというのかもしれないが



現実問題、9条と同じような条文…9条の元となったパリ不戦条約があっても

2014年8月3日放送「たかじんのそこまで言って委員会」
※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい


たかじん 20140803 060
たかじん 20140803 062
竹田恒泰氏
「そう…憲法学自体が全く必要ないわけですよ。
でもこれにはねあの…あの学問的というかまあプロとしての読み方ってのがありまして
これ実はよくあの…なんか「憲法9条は世界遺産にしよう」とか✖✖✖って言ってる団体いますけども…
これおかしな話で、実はですねこれ1928年にパリ不戦条約ってのがありまして
ここに、全く同じ文言がほぼ書かれてるんです、ちょっと読みますね
。」

たかじん 20140803 063
竹田恒泰氏
『 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ
且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス』

(締約国は国際紛争解決の為、戦争に訴うる事を否とし
且つその相互の関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄する事を
其の各自の人民の名において厳粛に宣言する)

しかも1931年のスペイン憲法にも
「国策の手段としての戦争を放棄する」と書いてある
1935年のフィリピン憲法にも同じ事… 
しかも…」


<※:参考>

不戦条約 - Wikipedia
不戦条約 - Wikipedia




たかじん 20140803 064
宮崎哲弥氏
「概ね、これは国連憲章にもこの思想というのは受け継がれている
しかるに、国連憲章は…
簡単に言うと常設国連軍が出来るまでは
個別的自衛権と集団的自衛権は
その違法性を阻却すると

(竹田恒泰氏「そうですね」)
いうふうな意味の事が書かれてるわけです。」


たかじん 20140803 065
竹田恒泰氏
「で、その国連憲章ですら1945年ですから日本国憲法の2年前にできているわけですよ。
つまり日本国憲法の第9条というのはパリ不戦条約のコピペなんですよね。
要するに法律の条文を読む場合の戦争の放棄というのは
それは侵略戦争の放棄なのであって

そこにはですね、自衛戦争放棄するなんてそんなバカな事考えてる国は世界中にいないんですね…。」


(※感想:竹田恒泰氏の言う「憲法の第9条というのはパリ不戦条約のコピペ」
でもこの基本的な事を理解してない人が左翼お得意の「平和憲法」の文言に踊らされて
現実に即した憲法改正にむけた動きに「9条は世界の宝」だの「9条を世界遺産に」云々と騒いだり
「集団的自衛権で徴兵制が」云々というあり得ない事で踊らされたりするんだよね。)




たかじん 20140803 066
長谷川幸洋氏
「いやだからね、その第1項はもういいんですよ今の不戦条約の解説あった通り
第1項はまあそのままで私もいいと思います、問題はその次
第2項の「前項の目的…」これちょっとややこしいのも入ってるけども
「陸海空軍その他の戦力…」っていう自衛隊を戦力でないと言ってるんだけど…」


須田慎一郎氏
「でもね長谷川さんね…だけど長谷川さんね
「前項の目的を達する為…」っていう
(宮崎哲弥氏「芦田修正のもの」)
この修正が付いてるんだから
要するにそれが無ければね、長谷川さんの言う通りなのよ
付いてるんだから自衛権は認められてるでしょうと。」


たかじん 20140803 067
宮崎哲弥氏
「その…まあまあ、あの要するにね
1950年の話したでしょう…朝鮮戦争勃発
その時に日本の立場というのはどういう立場だった

吉田茂が首相ですよ
吉田茂はあくまでも
「講和が成り立て…講和が成立して独立が成立するまでは日本は再軍備を考えるべきではないと…」
いう立場だったわけ。
ところがアメリカは、自国の都合によって
まあ戦争が始まってしまったから
要するに日本に一方的に「警察予備隊を組織しろ」っ…ですよ

これは、あの当時は…今も「戦力ではないと」言い張ってんの当時は
「これはあくまでも警察力に過ぎないんだと…」
言い続けたわけ。

(長谷川幸洋氏「それがおかしいんだよね」)
で、しかもこのこの…警察予備隊の発足設置令っていうのは国会ではまるで審議されてないの。
もう殆どGHQの命令によってそれを唯々諾々と呑む形で作られたの。
だからそういうね
、発足にまつわるスキャンダルがある。
この自衛隊にはいつまでもあの…ついて回ってるわけ。」


たかじん 20140803 068
長谷川幸洋氏
「だから非常にズバリ言うとね、日本国憲法作ったのはマッカーサーなの…によるわけでしょ。
ところがマッカーサーが自ら作って、自ら一番最初に破ったわけですよ。

(宮崎哲弥氏「その通り。」)
マッカーサーの指示で、警察予備隊作ったんだから。
それは朝鮮戦争が起きちゃったから…
これはもう東西冷戦が本当に熱戦になりそうだって言うんで…
日本を共産の勢力から守らなきゃいけない
あるいは国内の治安を維持しなきゃいけないという理由で

吉田当時首相はそれに大反対だったんですよ
大反対だったにも関わらずマッカーサーの指示で警察予備隊を作ったんだから
自分が作った憲法を自分で真っ先に…もう破っていると。
そこにもう憲法の…このおかしさっていう
…」


山本浩之氏
「まあ…60年経って、もうやっぱ変えなきゃいけないじゃないかと
宙ぶらりんの状態が続いてる。」




相手国の都合によって以下のようになるのである
この事実…歴史を我々日本人は忘れてはならない。

ソビエツキー・ソユーズ(旧ソ連戦艦)
戦争はこちらが望まなくとも相手の都合でも起こりうる

旧ソ連の満州・千島・樺太侵攻の悲劇

ソ連による日ソ中立条約を破棄しての侵攻

2010年11月15日放送「ビートたけしのTVタックル」

ソ連対日参戦 - Wikipedia
ソ連対日参戦

ソ連対日参戦(ソれんたいにちさんせん)とは、満州国において1945年8月9日未明に開始された、日本の関東軍と極東ソビエト連邦軍との間で行われた満州・北朝鮮における一連の作戦・戦闘と、日本の第五方面軍とソ連の極東ソビエト連邦軍との間で行われた南樺太・千島列島における一連の作戦・戦闘。

日本の防衛省防衛研究所戦史部ではこの一連の戦闘を「対ソ防衛戦」と呼んでいるが、ソ連では主戦場が満州であったこともあり、8月の嵐作戦、日ソ戦争または満洲の戦いと呼ばれることが多い[要出典]。ここでは日本の歴史教科書でも一般的に用いられている「ソ連対日参戦」を使用する。英語ではSoviet invasion of Manchuria、ロシア語ではМанчжурская стратегическая наступательная операцияと呼ばれている。



池上彰の戦争を考えるSP 第5弾 1_2 03

ソ連軍の南樺太・千島侵攻
占守(しゅむしゅ)島
陸軍第91師団

南樺太
陸軍第88師団


 もし両師団が応戦していなければ北海道北半分はソ連に占領されていただろう。
第33代米大統領のハリー・トルーマンが、ソ連共産党書記長のヨシフ・スターリンに「北海道の占領は認めない」と通告したのは8月18日だったからだ。


 ソ連軍の上陸は四島の島民を恐怖のどん底に突き落とした。若い女性は変装して納屋に隠れたが、逃げ場を失い、幼子を抱えて海に身を投げた母親もいた。
【戦後70年~昭和20年夏(7)】


<以下参照>
【戦後70年~昭和20年夏(7)】
樺太に残された日本人女性 ソ連兵の恐怖に震え…過酷な日々、帰国信じ半世紀
2015.8.13 01:00 産経ニュース(1/6ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/150813/prm1508130012-n1.html
※記事を読むには右側のスクロールバーを動かして下さい

 「戦前の樺太は活気にあふれててね。自然も豊かで人情もあって。本当にいいところだった…」

 南樺太で生まれ育った近藤孝子(84)=東京都三鷹市在住=はこう言って目を細めた。

 明治38年、日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南の南樺太は日本領となった。多数の日本人が入植し、林業や漁業、製紙業などで栄え、昭和16年12月の国勢調査では40万6557人が暮らしていた。

 米国と戦争が始まっても平穏だった。学校では日本人、ロシア人、朝鮮人が一緒に学んだ。近藤は南樺太でずっと幸せに暮らしていけると信じて疑わなかった。

 ところが、昭和20年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州に一斉侵攻したことで近藤らの人生は大きく変わった。

ソ連軍の南樺太・千島侵攻
 樺太への侵攻は11日に始まり、ソ連国境近くの古屯(ことん)付近で日本軍と戦闘になった。北部の住民が南部に避難してきたが、近藤らが暮らす落合町など南部は空襲もなく、今ひとつ戦争の実感はなかった。

 8月15日正午。近藤は女学校の同級生とともに勤労動員先の陸軍大谷飛行場近くの寄宿舎で、玉音放送を聞き、終戦を知った。

 ところが、終戦後もソ連軍の攻撃は続いた。20日には、樺太西海岸の拠点だった真岡町にソ連軍が上陸した。内地への引き揚げ命令が出た22日、ソ連軍は樺太庁のある豊原市(現ユジノサハリンスク)を爆撃、100人以上が死亡した。


(2/6ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/150813/prm1508130012-n2.html

 同日、引き揚げ者を乗せ、北海道・小樽に向かっていた小笠原丸、第二新興丸、泰東丸の3隻国籍不明の潜水艦の攻撃を受け、第二新興丸を除く2隻が沈没、1700人以上が死亡した。犠牲者の大半は女性や子供、老人だった。

 ソ連はこの事件に関して沈黙を守ったが、ソ連崩壊後、海軍記録などからソ連太平洋艦隊の潜水艦L-12、19が付近海域で船舶3隻を攻撃したことが判明している。この事件を受け、引き揚げ事業は中断され、近藤ら大勢の日本人が南樺太に留め置かれた。


× × ×
 

 サハリンに名を変えた南樺太は無法地帯となった。

 ソ連兵は傍若無人だった。短機関銃を構えて民家に押し入っては時計や万年筆、鏡など貴重品を手当たり次第に略奪したが、黙って見ているしかなかった。

 強姦(ごうかん)も日常茶飯事だった。近藤ら若い女性は髪を短く切り、作業服姿で男のふりをして日中を過ごし、押し入れか屋根裏で就寝した。ソ連兵が家に押し入ると押し入れで息を潜めた。

 そこで若い女性が選んだのは、朝鮮人との結婚だった。少なくない女性が「強姦されるよりも嫁に行った方がいい」と思っていたからだ。近藤も23年5月に朝鮮人と結婚した。

 同年10月、親代わりだった叔父夫婦や弟の帰国が決まった。叔父らは「一緒に帰ろう」と勧めてくれたが、夫が帰国対象にならないことから南樺太にとどまった。同じような境遇の日本人妻は数多くいた。


(3/6ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/150813/prm1508130012-n3.html


× × ×
 

 サハリンは日本人妻にとってますます住みづらくなった。朝鮮人は男女問わず「日本のせいで故郷に帰れなくなった」と日本人妻をなじった。ソ連当局の監視も厳しかった。

 耐えられず朝鮮名に改名する日本人妻も多かったが、近藤は本名を通した
。「いつか日本に帰る」と心に決めていたからだ。

 唯一の慰めが、ラジオから流れる日本の歌謡曲だった。美空ひばり、三橋美智也-。樺太で生まれ育った近藤は歌詞の日本の地名にはピンとこなかったが、歌を聞く度に「私は日本人なんだ」と勇気づけられた。


× × ×
 

 日本に一時帰国できたのは平成2年5月。千歳空港に降り立つと弟が出迎えてくれた。42年ぶりの再会だった。

 近藤が末娘一家とともに日本に永住帰国したのは平成12年10月、終戦から55年がたっていた。今も幸せを感じているが、ふとこう思うこともある。


 「私が知っている樺太での日本とはどこか違う。日本は戦後、大切なものをなくしてしまったんじゃないか。樺太のことも忘れられていくのかな…」


× × ×
 

 北方領土・色丹(しこたん)島は、標高412メートルの斜古丹(しゃこたん)山など3つの山が丘陵地と入り江を織りなす美しい島だった。島の中心集落・斜古丹(ロシア名・マロークリリスク)からぬかるんだ山道を車で1時間余り。日本人墓地は、イネモシリと呼ばれる海を見渡せる丘の上にあった。


(4/6ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/150813/prm1508130012-n4.html

 だが、墓地の荒廃は進んでいた。クマ笹や雑草が生い茂り、傾いたまま放置された墓石も少なくない。

 旧ソ連は北方四島を軍事要塞化し、元島民が近づくことさえ認めなかったが、昭和39年以降、墓参だけは認めるようになった。

 元島民が25年に結成した千島歯舞(はぼまい)諸島居住者連盟(札幌市)は「墓参が四島返還の足がかりになる」と考え、ほぼ年1回の集団墓参を実施してきた。

 平成に入るとソ連は崩壊し始めた。これを好機とみた日本政府は四島への人道支援を始め、病院や学校、ディーゼル発電所などを次々に建設した。支援を通じて、元島民がビザなしでいつでも帰還できる環境を整えようと考えたからだ。

 これが奏功し、入植ロシア人の対日感情は改善され、「四島を日本に返還し、ロシア人も繁栄の恩恵にあずかるべきだ」という声が上がるようになった。

 だが平成18年に潮目が変わった。露政府は「クリール(千島)諸島社会経済発展計画」を策定し、9年間で千島列島のインフラ整備や生活向上に計179億ルーブルの資金投入を決定。24年7月には露首相のドミートリー・メドベージェフが国後(くなしり)島入りし「一寸たりとも領土は渡さない」と断じた。今年7月には今後10年間で700億ルーブルの投資を決めた。


× × ×
 

 18年以降、四島のロシア化は着実に進んでいる。


(5/6ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/150813/prm1508130012-n5.html

 色丹島では26年12月、「南クリール地区中央病院色丹分院」が開業した。デジタルマンモグラフィーなど最新医療設備が並び、ロシアの全病院で病歴や投薬情報を共有するシステムも導入された。同島のクラボザヴォツク水産加工場もスケトウダラを加工・冷凍する最新の生産ラインを備えた。他にも小中学校などの建設ラッシュが続く。

 10歳まで国後島で暮らした大塚誠之助(80)=札幌市在住=はこう語る。

 「70年という時は長すぎる。ロシア人が生活の根を張り、昔の面影が消えた島に高齢の私らは今さら移住できない。せめて生きている間に自由に往来できるようになれば…」


× × ×
 

 昭和20年8月15日、北方四島の居住者1万7635人は米軍の空襲を一度も受けることもなく終戦を迎えた。まさか島を追われることになるとは夢にも思わなかったはずだ。

 ところが、18日、ソ連第2極東方面軍8千人超が、千島列島北端の占守(しゅむしゅ)島に侵攻した陸軍第91師団2万3千人が応戦し23日の武装解除まで日本兵600人ソ連兵3千人の死者を出す激戦が続いた南樺太にもソ連第2極東方面軍が11日に侵攻し陸軍第88師団と激突した。

 もし両師団が応戦していなければ北海道北半分はソ連に占領されていただろう。第33代米大統領のハリー・トルーマンが、ソ連共産党書記長のヨシフ・スターリンに「北海道の占領は認めない」と通告したのは8月18日だったからだ。


(6/6ページ)
http://www.sankei.com/premium/news/150813/prm1508130012-n6.html

 だが、択捉(えとろふ)島以南に米軍が進駐していないことを知ったソ連軍は8月28日に択捉島、9月1~5日までに色丹島、国後島、歯舞群島を占領した。日本が降伏文書に調印したのは9月2日。国際法を踏みにじる蛮行だった。

 ソ連軍の上陸は四島の島民を恐怖のどん底に突き落とした。若い女性は変装して納屋に隠れたが、逃げ場を失い、幼子を抱えて海に身を投げた母親もいた。

 ソ連は21年2月に四島を自国領に編入。島民を強制退去させる決定をした。島民は小型船で沖合に出た後、荷物用モッコ網に入れられてクレーンでつるしあげられ、大型貨物船の船倉に降ろされた。完全にモノ扱いだった。


× × ×
 

 今年3月末の元島民は6774人、70年前の4割以下に減った。四島の入植ロシア人は計1万7千人超で終戦時の日本人数に迫る。元島民の平均年齢は79・8歳。残された時間はあまりない。(敬称略)




 この連載は石橋文登、峯匡孝、奈須稔、加納宏幸、遠藤良介、池田祥子、滝口亜希、高橋裕子、小川真由美、田中一世が担当しました。




池上彰の戦争を考えるSP 第5弾 1_2 05 「九人の乙女の像」北海道稚内にある、樺太真岡郵便電信局事件で自決した9人の電話交換手の慰霊碑
九人の乙女の像 - Wikipedia
九人の乙女の像(くにんのおとめのぞう)は、北海道稚内市の稚内公園内にある、1945年8月20日樺太真岡郡真岡町で起きた真岡郵便電信局事件で自決した9人の電話交換手の慰霊碑である。



憲法はその国の国家権力を縛るものであって
日本国憲法は日本政府を縛る事はあっても
日本に侵略的意図を持つ他国を縛るものではない
そして戦争は先の大戦末期の旧ソ連の満州・千島樺太侵攻のように他国からもたらされる時がある
9条があれば守られる…平和だ…的な論は幻想に過ぎない


この時、占守島において日本軍が頑強に抵抗しなければ北海道は留萌・釧路間から北は旧ソ連に占領され南北に分断された国家になっていたのかもしれない

RIMG2051.jpg
三宅氏
「あのねえ今、ベストセラーになっている直木賞作家の浅田次郎っていう人の「終わらざる夏」というのに
これは小説だけど、かなり時代的背景が詳しく書いてありますけどね
戦争が終わってからですよ、占守島には手つかずの精鋭が2万3000人いたんですよ。
あの満州から転用してきた戦車軍隊とかなんかあった。
それなのにねえいきなり攻撃を仕掛けてきた。
終わってたのにですよ戦争が。
彼らもしょうがないから戦うんですよ。
それでいっぺんはロシア軍(当時ソ連軍)を壊滅させるんだけれども結果的には停戦を受け入れて
彼らは全部シベリアに送られてかなりたくさん殺されるんだけどね
そういうふうな歴史的経緯から見てもねえ、日本が侵略によって取ったということは歴史的に一切ないんですよね。
だから胸を張って言える。」

<参考>

RIMG1172.jpg
(終わらざる夏(著・浅田次郎)
昭和20年 日本降伏ごの8月18日に始まった
北の孤島・占守島での日本とソ連の戦いで、様々な人間達が巻き込まれていくさまを描いた、着想から30年の戦争群像劇。)


千島樺太侵攻
千島樺太侵攻02



占守島などでの日本軍の奮戦が無ければ…北海道までソ連軍に侵攻され
ドイツのベルリンにおける多くの民間人が犠牲となる略奪が行われていた可能性だってある





 太平洋戦争に負けた日本人は、勝った側の理屈を押し付けられその正しさを理解することを強いられた。こちらが主張した正義は『帝国主義』『侵略』というフィルターを被せられて、そのことごとくが悪であると否定された。もちろん帝国主義や侵略が今の価値観に照らし合わせて非道であることは述べるまでもないことだ。だが、それによって他のことまで全て、ありとあらゆることの全てが非の色によって染められたのだ。
(ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり -4総撃編- P404より)




何度も紹介してきましたが…

戦後史観・GHQによるWGIP…戦後教育史観から抜け出せない日本人は未だ多い…

2015年1月18日放送「たかじんのそこまで言って委員会」

2015-01.18 そこまで言って委員会 20
「GHQ指令の
戦争への罪悪感を
日本人の心に
植え付けるための
宣伝計画

【ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム】


2015-01.18 そこまで言って委員会 02
「続いては、日本の思想・教育」

2015-01.18 そこまで言って委員会 03
「日本の戦後教育は正しかったと言えるのか?」

2015-01.18 そこまで言って委員会 04
「先の戦争は日本による侵略戦争だった」

2015-01.18 そこまで言って委員会 05
「もうあのような蛮行は繰り返してはならない」

2015-01.18 そこまで言って委員会 06
「人権・平和・生命について強く教えた戦後教育」

2015-01.18 そこまで言って委員会 07
「それによって多くの日本人の中に
根強い自虐史観が植えつけられたと言われている。」


2015-01.18 そこまで言って委員会 08
「そして…
その歴史認識に関しては
中国や韓国からも激しい批判を受け」


2015-01.18 そこまで言って委員会 09
「これまで、日本の指導者は謝罪を繰り返してきた

2015-01.18 そこまで言って委員会 10
「しかし、こうした日本の自虐史観の刷り込みの出発点
実はGHQ、連合国軍総司令部による占領政策だったと言われている。」


2015-01.18 そこまで言って委員会 11
「終戦から4カ月経った1945年12月8日

2015-01.18 そこまで言って委員会 12
「GHQは、日本の新聞に連載を始めさせる」

2015-01.18 そこまで言って委員会 13
2015-01.18 そこまで言って委員会 14
2015-01.18 そこまで言って委員会 15
2015-01.18 そこまで言って委員会 16
「連載は10回に渡り
満州事変から終戦に至るまでの日本の悪行を強調する内容で」


2015-01.18 そこまで言って委員会 17a
2015-01.18 そこまで言って委員会 17b
「例えば…南京事件は近代史最大の虐殺
などと特記された


2015-01.18 そこまで言って委員会 18
「また、連載が開始されたのが12月8日
つまり真珠湾攻撃の日だったことも
アメリカの報復的な意図を感じずにはいられず」


2015-01.18 そこまで言って委員会 19
ここに掲載された歴史観が
その後の極東軍事裁判、いわゆる東京裁判史観に通じるものだった。」


2015-01.18 そこまで言って委員会 20
「このGHQ指令の
戦争への罪悪感を
日本人の心に
植え付けるための
宣伝計画

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
…と言われ。」


2015-01.18 そこまで言って委員会 21
「現行憲法同様、アメリカによって日本に押し付けられたものと言える。」

2015-01.18 そこまで言って委員会 22
「しかし、戦時中の言論統制で
情報に飢えていた日本人は」

2015-01.18 そこまで言って委員会 23
2015-01.18 そこまで言って委員会 24
GHQが計画的に与えたアメリカ製の歴史認識を吸収し」

2015-01.18 そこまで言って委員会 25
2015-01.18 そこまで言って委員会 26
「これが、歴史の真実として定着

2015-01.18 そこまで言って委員会 27
「その後…
アメリカ製の平和憲法も受け入れる事になる


2015-01.18 そこまで言って委員会 28

2015-01.18 そこまで言って委員会 29
「私は歴史の先生はあんまりいい先生いなくて…
そこら辺まで来ないんですよ
終わっちゃうのがもっと前…
せいぜい昭和の初めぐらいまで
あんまり…熱心な先生いなかったですね。
ノートを読むとか黒板に書くだけ、歴史の先生はね。」


2015-01.18 そこまで言って委員会 30a
「そして、戦後70年
一度も戦争に巻き込まれることも無く平和を謳歌し」

2015-01.18 そこまで言って委員会 30
「経済成長を求めてきた日本」

2015-01.18 そこまで言って委員会 31
「しかしその一方で貧富の差がますます拡大し
資本主義の限界が指摘される中」

2015-01.18 そこまで言って委員会 32
「先の総選挙で日本共産党が公示前勢力の8議席から21議席に大躍進」

2015-01.18 そこまで言って委員会 33
「護憲・アベノミクス反対を掲げる共産党の支持が高まっているのは」

2015-01.18 そこまで言って委員会 34
「やはり平和を愛する、国を暴走させてはいけないという
刷り込みによるものなのだろうか?



2015-01.18 そこまで言って委員会 35
全然…日教組が悪いとか
君が代で起立しないのがどうとかって
それは別に考えた事ないですね…はい。
(Q:「別にそれはかまわない?」)
うん…自然に任せてればいいんじゃないかしらっていう感じですけども。
(Q:「なるほど」)

2015-01.18 そこまで言って委員会 36
「そこで皆さんに質問です
日本で再び左翼思想が台頭することはあると思いますか?」

2015-01.18 そこまで言って委員会 37

2015-01.18 そこまで言って委員会 2 03
長谷川氏
「実はほら去年ね、散々問題になった朝日新聞問題も
やっぱり僕は一緒で
、ようするに
思想というほど立派なものじゃなくて、ある種の気分ですよ。
理念というか気分

これが…こういうことでね、動いている社会って、もう私思うにね、新聞社の…ないからなあ

2015-01.18 そこまで言って委員会 2 04
辛坊次郎氏
いやいやいや、新聞だったらね…まだいいんですよ
新聞だったら読むよまない選ぶ…権利がありますから

一番問題なのはやっぱり教育現場なんです。
教育現場は依然としてね…それ自治体によります。
だから非常に日教組の強いとこと弱いとこと、あの…いろいろありますけれども
やっぱりあの…一定のイデオロギーの元で行われている教育圏行くと
必ず…例えば中学校卒業するまでに小学校5年6年で人権作文と平和作文…
これ総合学習の時間で必ず書かす。

で、中身は基本的に、ま今まだいたい皆さんがパッと聞いて想像ができる範囲の事を書かないと…御点もらえない。
それで、修学旅行は必ず広島…例えば大阪だったら行くと。
で、だいたい憲法9条と憲法25条

え…あの憲法9条はご存知のように戦争放棄
憲法25条は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する…
この、二つだけは丸暗記で…中学校、公立学校を卒業すると。
他の条文一切知らない。
9条と25条は知ってる
そうすると、あの…生活保護は、あの国民の権利だ…って言う話に繋がって行くという
特に沖縄なんかそう…典型
です。


-以下略-


■参考動画

2015-01.18 そこまで言って委員会 2
2015-01.18 そこまで言って委員会 2
http://www.dailymotion.com/video/x2ezu21_2015-01-18-%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%BE%E3%81%A7%E8%A8%80%E3%81%A3%E3%81%A6%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A-2_news






過去にも紹介しましたが…

<以下参照>
首相の靖国参拝 A級戦犯合祀発覚から7年中国は何も指摘せず
2014.01.21 07:00 NEWSポストセブン
http://www.news-postseven.com/archives/20140121_237084.html

 地下鉄九段下駅から坂を上ること5分。目の前には日本最大級、高さ25メートルの大鳥居がそびえ立つ。「靖国神社」だ。拝殿までの参道は長く700メートル。総敷地面積約10万平方メートルは、実に東京ドームの2倍強にも及ぶ。

【靖国神社の総敷地面積は東京ドームの2倍強】
【靖国神社の総敷地面積は東京ドームの2倍強】

 年末、安倍首相の突如の参拝中国・韓国の抗議だけでなく、米国までもが「失望」と声明を出す想定外となった靖国参拝だが、境内を歩きながら、改めて「靖国問題」とは何かをみていきたい。

 靖国神社の歴史は明治2年に始まった。戊辰戦争の官軍側戦没者を慰霊顕彰するため、明治天皇によって創建された東京招魂社が前身である。戦後は、GHQの指令で国の管理を離れ単立宗教法人になり、現在は神道ではあるが、全国の神社を統括する宗教組織・神社本庁には属していない。

 祀られているのは、幕末から太平洋戦争まで、国のために亡くなった軍人、軍属、準軍属など約250万柱。そのため、賊軍だった西郷隆盛や戦死でない東郷平八郎や乃木希典は合祀されていない。


 だが、それはあくまで本殿の話。今回初めて現職首相が参拝したことで注目を集めた本殿南に佇む「鎮霊杜」。ここでは国籍を問わず国内外すべての戦没者を慰霊している。安倍首相は、外国人も慰霊される施設を参拝することで中国・韓国の批判をかわそうとしたとみられる。

 では、ご祭神はどこにどのようなかたちで祀られているのか。鎮霊杜から本殿裏に廻ると、非公開の施設「霊璽簿奉安殿」がある。

「合祀される場合、霊璽簿にお名前を記して本殿の正床に移し、霊璽簿に宿った神霊をご神体に鎮めるのです。神霊が離れた霊璽簿は奉安殿に納められます」(神道学者の高森明勅氏)

 中国や韓国は、戦争指導者だったA級戦犯を合祀する靖国神社への参拝を非難する。参道の神門には中国人による放火の跡が残っており、その怒りを物語る。

 だが、歴史を辿れば靖国神社にA級戦犯が合祀されていることがわかった昭和53年から7年間、歴代首相が20回参拝を繰り返しても中国は何の指摘もしていない。昭和60年の終戦記念日に中曽根首相が参拝したときに初めて非難の声を上げたにすぎない。靖国問題はほかに、「公人」である首相の参拝が政教分離の原則に触れるのではないかという憲法問題も議論されている。

 世界では米国のアーリントン墓地のように戦死者を慰霊する施設が問題視されることはない。様々な議論があるが、百聞は一見にしかず。まずは一度訪れることをお勧めしたい。

撮影■太田真三

※週刊ポスト2014年1月31日号


<参照終わり>


鎮魂 8月15日
8月15日…心静かにお祈りを…





零戦21型
■おまけ動画



青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』前編
青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』前編
https://youtu.be/cH9O-nAvjmA 




8/14(金)〜有本香・居島一平〜【虎ノ門ニュース 8時入り!】
8/14(金)〜有本香・居島一平〜【虎ノ門ニュース 8時入り!】
https://youtu.be/8t6tlVJHoZI




日露戦争 ?前編? (高画質版)
日露戦争 ?前編? (高画質版) b
http://youtu.be/0aNiy8lV9jc

日露戦争 ?後編? (高画質版)
日露戦争 ?後編? (高画質版)
http://youtu.be/OMnO_9NC5pc




大日本帝国の最期 第壱幕 (高画質版)
大日本帝国の最期 第壱幕 (高画質版)
http://youtu.be/5aowyJM8Cpc

大日本帝国の最期 第弐幕 (高画質版)
大日本帝国の最期 第弐幕 (高画質版)
http://youtu.be/sZCp0iOUivo

大日本帝国の最期 第参幕 (高画質版)
大日本帝国の最期 第参幕 (高画質版)
http://youtu.be/BB6weGn1qk4






戦艦 榛名
■その他ニュースツイッター

さくや 2014 巫女 弓お祓い?
ツイッターで気になったものをいくつか紹介

なんでこう談話に「謝罪」等の言葉を盛り込む(中韓の都合よく)をやたらと主張する者達はブーメランが多いのか


ホント腹立たしい




流石のテレ東!?



さくら 201508015
   さくら
「ここからは政治とは関係なく気楽に紹介」


・・・・


ゲームはゲームなのだけれど!?
名(魂)は引き継がれる…


なんやかんやと忙しくて夏イベが進められらない(涙)




航空母艦 赤城
★:注意とお願い★

 最近コメントをしていただけるのはありがたいのですが、コメントに名前を入れずに空欄でコメントされる方が多いです(ホストを確認すれば8割方は同一なのですが)
過去に何度かコメントしましたがコメントを入れられる場合は必ず名前(ペンネームやHNなど)を入れるようにお願いします。
名前を無記入で投稿されますと、管理人や他の方がお返事等をする際にかなり混乱します。
あまりにも無記入が続くようでしたらコメント削除・アクセス禁止等の措置を取る対象にさせていただくことがありますのでよろしくお願いします。
また、同一人物が複数の別の名前を(他人の振りをするのも含む)名乗る等は特別な理由のない限りご遠慮下さい(管理ページで簡単にバレます)
後、最近一言の感想、断りもなく、当ブログ、記事とは関係ない他のブログのコピペとURL貼り付けなど、非常に失礼な行為をされる方がいます。
しかも同一ホストで名前を変えて…

そうした行為はいかなる主張、内容であろうともお断りします。
見つけ次第削除等断固とした処置を取らせて頂きます。




※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※

コメント欄・トラックバックをご利用される方は左のプロフィール下の【コメント欄(投稿)等においての禁止事項】をご一読下さい。

<注意事項>

特定の個人や特定の話題に対して、もしくは不特定の人、又は団体に根拠のない難癖をつける侮辱する、その他これに類する事、口調が喧嘩腰、本筋とは関係のない話題を何度も書き込む、脈絡のない文章や意味のない文字の羅列を書き込む、その他、俗に「荒らし」行為、その場の空気を著しく乱すような投稿と認められるもや
営利目的の広告・求人・勧誘、その他アダルト関係等管理人が不適切と判断した投稿など
宗教関係等(新興宗教等)それに類するものなど管理人が不適切と感じたものなど
管理人が不適切と判断した場合は基本的に削除します。
コメントを入れられる場合は必ず名前(ペンネームやHNなど)を入れるようにお願いします。
名前を無記入で投稿されますと、管理人や他の方がお返事等をする際にかなり混乱します。
あまりにも無記入が続くようでしたらコメント削除・アクセス禁止等の措置を取る対象にさせていただくことがありますのでよろしくお願いします。
また、同一人物が複数の別の名前を名乗る(他人の振りをするのも含む)等は特別な理由のない限りご遠慮下さい(管理ページで簡単にバレます)
悪質な(限度を超したもの、何度も繰り返す等)場合はコメント公表、IPアドレス・ホスト等の公開、アクセス制限等の強い対抗処置を取らせて頂きます。
違法行為その他不適切と判断するものについてはログや記事の控えと共に関係機関に連絡をすることがあります。



尚、コメントは全て拝読させて頂いておりますが、当方の仕事の都合等でお返事出来ない時がありますので平にご容赦下さい。
※:書き起こしについては誤字などに後日気づいて修正をすることが多々ありますので引用される場合はご注意を。
※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※



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ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり
長編 連載中 漫画:竿尾悟/原作:柳内たくみ
ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 第29話 P-9
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竿尾 悟、柳内たくみ 他

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帝国との講和交渉開始!
だが水面下で主戦派が動き出す!





提督SD
「仕事等の都合により毎日更新できない場合があります。
その時は平にご容赦を(涙)」


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さくや20150815
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Author:銀時
リアルにおいて陸上自衛隊に入り現在予備自であるのになぜか
某ゲームにおいて某鎮守府提督に就任
自慢は現在のところ自艦隊から一隻も轟沈が出ていないこと。
日本とアニメと漫画をこよなく愛する
マダオ(まるでダメなオッサン)

基本政治関係を書いてますがたまにアニメや漫画
の絵?(最近はGIF)なんか書いたりしてます。

基本ぐだぐだなので
まったりと?いきたいので
宜しくお願いします!

好きなアニメ・漫画は

『銀魂』「信長協奏曲」「宇宙戦艦ヤマト2199」等…

旧「銀色の侍魂」管理人
ブログ名称変更に「艦これ」と「アルペジオ」のコラボイベントに感化されたとかされないとか・・・

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< 参 考 > ぼやきくっくり 竹島プロジェクト2016 ブログ参加概要(推 奨): ブログやホームページに竹島の画像、イラスト、文字等を配置し、互いにリンクする。 島根県Web竹島問題研究所へのリンクをはり、2/22竹島の日のアピールに勤めます。
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